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端午節

端午節端午の習俗

「 鼓声三下红旗开,两龙跃出浮水来。 」

端午節は先秦時代の竜のトーテム祭祀に起源を持ち、後に屈原が五月五日に汨羅江に入水したことから、この詩人を偲ぶ日となった。唐の文秀が『端午』の詩で詠む、「节分端午自谁言,万古传闻为屈原。」(*端午の節句――誰がその名を最初に呼んだのか。万古の昔より、屈原…

龍舟競渡は、端午節を最も象徴する習俗である。櫂が波を切り、太鼓の音が水面を震わせる競渡で競われるのは、単なる速さだけではなく、「一艘の舟、一つの心」という団結の精神でもある。伝統的な龍舟は、木材の選定から船体の製作、龍の彫刻、彩色まで、いくつもの工程を経て造られ、競渡では力強い太鼓の音が響き渡る。粽を食べることも端午節の重要な習俗であり、もち米を菰の葉などで包んだものから、長い年月を経て甘味・塩味を含む多彩な味わいへと発展してきた。また、人々は門前に艾や菖蒲を掛けて邪気や疫病を遠ざけ、子どもには香囊や五色の糸を身につけさせて、平安と幸福を祈る。2009年、端午節はユネスコの「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に登録され、中国の伝統的な祝祭として初めて世界無形文化遺産に登録された。

端午節 / 端午の習俗
端午節まであと229日 2027年6月9日 · 旧暦 五月初五

主な風習

中心となる礼俗

龍舟競渡

主な地域: 南方の水郷地域を中心に、現在では中国全土および海外の華人社会

時期: 端午節当日およびその前後

分類: 競技・娯楽 / 祭祀

行事の内容

龍舟競渡は、端午節を最も象徴する、迫力に満ちた習俗である。龍舟とは端午節の競渡に用いられる龍形の舟で、競技では数十人の漕ぎ手が船の両側に分かれ、太鼓のリズムに合わせて力いっぱい櫂を漕ぐ。櫂が波を切り、太鼓が水面を震わせるなかで競われるのは、単なる速度ではなく、「一艘の舟、一つの心」という団結の精神である。

龍舟の製作には高度な技術が求められる。伝統的な龍舟は、木材の選定、船体の製作、龍の彫刻、塗装など複雑な工程を経て完成する。一般に細長い木造船で、船首には精巧に彫刻された龍頭、船尾には龍尾を取り付け、船体には龍の鱗文様を描く。龍頭の色は地域によって異なり、赤龍、黄龍、青龍、白龍などがある。競技では漕ぎ手のほか、太鼓手、舵手、旗手が乗り込み、太鼓手がリズムを指揮し、舵手が進行方向を制御し、旗手が船首で旗を振って士気を高める。

競渡の光景は壮観である。川面では多くの舟が一斉に競い、岸辺には大勢の観衆が集まって声援を送る。唐代の詩人・張建封は『競渡歌』で、「鼓声三下红旗开,两龙跃出浮水来。棹影斡波飞万剑,鼓声劈浪鸣千雷。」と、その盛況を生き生きと描いた。櫂の影を波を切り裂く万本の剣に、太鼓の響きを千の雷鳴になぞらえた表現である。今日、龍舟競渡は中国の伝統祝祭を代表する行事であるだけでなく、世界各地でも親しまれ、国際的な競技へと発展している。

歴史的由来

龍舟競渡の起源については複数の説がある。最も広く知られているのが、屈原を記念するために始まったという説である。伝承によれば、戦国時代の楚の詩人・屈原は旧暦五月五日に汨羅江へ身を投じた。楚の人々は賢臣であった屈原の死を惜しみ、舟を漕いで救出しようと競うように追いかけたが、洞庭湖まで探しても見つけることができなかった。その後、毎年五月五日に龍舟を漕いで屈原を記念し、川の魚を追い払って屈原の身体を食べさせないようにしたとされる。この説は、南朝梁の呉均『続斉諧記』や宗懍『荊楚歳時記』などに記されている。

別の説では、龍舟競渡はもともと疾病や疫病を祓う祭礼であったとされる。江蘇・浙江地域では春秋時代以前から、旧暦五月五日に龍舟競渡の形式で龍のトーテムを祭る習俗があったともいう。また、父を追って川に身を投じた曹娥や、父の仇を討った伍子胥を記念するためとする説もある。このほか、水中の魚やエビを追い払う、死者の魂を慰める、水神を祭るといった意味も龍舟競渡に結びつけられてきた。

龍舟競渡に関する早期の記録は南北朝時代にまで遡り、『荊楚歳時記』にはすでに五月五日の龍舟競技が記されている。春秋戦国時代には呉・越・楚で盛んであり、遅くとも南北朝時代には広く普及していた。当初は邪気や災厄を祓うことが主な目的だったと考えられるが、のちに屈原、伍子胥、曹娥などの先賢を記念する道徳的意味が加わった。湖北省秭帰は屈原の故郷、湖南省汨羅は屈原が入水した地とされ、両地の龍舟文化はとりわけ屈原の記憶と深く結びついている。

参加方法

端午節には、南方の水郷都市で龍舟競渡を観覧できる。湖南省汨羅、湖北省秭帰は龍舟文化の重要な中心地であり、広東、福建、浙江などの競渡にもそれぞれ強い地域色がある。多くの都市で端午節期間中に龍舟大会が開催され、観光客は岸辺の安全な観覧区域から見学できる。一部の観光地では龍舟体験も提供され、実際に漕艇に参加することができる。

粽を食べる

主な地域: 中国全土

時期: 端午節当日(通常は前日に包んで煮ておく)

分類: 食文化

行事の内容

端午節に粽を食べることは、中国で最も広く行われている伝統習俗の一つである。粽は古く「粽籺」とも呼ばれ、もち米とさまざまな具材を箬竹などの葉で包んで作る。形は角の尖ったものや四角形など多様で、その歴史は非常に古く、もともとは祖先や神々に捧げる供物であった。

粽作りには熟練した技術が必要である。河川や池のほとりに生える若い葦の葉を使う地域が多く、竹の葉を用いる地域もあり、これらは総称して「粽葉」と呼ばれる。もち米を一晩水に浸し、二枚の葉を漏斗状に折り、米と具材を詰め、糸や植物の紐でしっかりと結ぶ。かつて熟練者は糸の一端を口にくわえ、一方の手で粽を持ち、もう一方の手で何度も糸を巻いて、最後にほどきやすい結び目を作った。完成した粽は二個一組、あるいは四個一組に結ぶこともある。端午節の朝には各家庭で屈原を記念して粽を食べるため、通常は前日に包み、夜のうちに煮て、翌朝食べる。

伝統的な粽は三角形が多く、中身によって名称が異なる。もち米だけなら「米粽」、小豆入りなら「小豆粽」、ナツメ入りなら「棗粽」と呼ぶ。「棗粽」は「早中」、すなわち「早く合格する」という語呂に結びつけられ、学業成就を願う食べ物として好まれた。かつて科挙を受験する者は試験当日の朝に棗粽を食べることがあり、現在でも中学や大学の入学試験の時期に、子どもの合格を願って親が棗粽を用意することがある。

歴史的由来

粽の歴史は古く、早期の文字記録は漢代の許慎『説文解字』に見られる。もともとは祖先や神々への供物であった。春秋時代には菰の葉で黍を角形に包んだ「角黍」があり、竹筒に米を詰めて密封し焼いたものは「筒粽」と呼ばれた。後漢末には草木灰の水に黍を浸し、アルカリ性の水を利用して菰の葉で四角形に包み煮る方法も現れ、後世の鹼水粽につながった。

粽は屈原の伝説とも深く結びついている。屈原が川へ身を投じた後、人々は魚やエビがその身体を食べないよう米の団子を川へ投げたと伝えられる。のちに米を楝の葉で包み、五色の糸で縛るようになり、それによって蛟龍に奪われることを防げると考えられた。

粽は中国各地へ広がるなかで、南北それぞれ異なる味わいを形成した。北方では黍を用いる粽も作られ、「角黍」の名が残った。地域ごとの食習慣によって多様な種類が生まれたが、味の面では大きく甘い粽と塩味の粽の二系統に分けることができる。

参加方法

端午節には家族と一緒に粽を包み、伝統的な手仕事を体験できる。北方ではナツメや小豆餡を使った甘い粽、南方では肉や塩漬け卵黄を使った塩味の粽が代表的である。祭日期間にはスーパーや菓子店でもさまざまな粽が販売される。嘉興や湖州など、粽で知られる都市を訪れて地域の伝統的な味を楽しむこともできる。

艾と菖蒲を掛ける

主な地域: 中国全土

時期: 端午節当日の早朝

分類: 家庭の祈福 / 衛生習俗

行事の内容

「清明には柳を挿し、端午には艾を挿す」という言葉があるように、艾と菖蒲を掛けることは端午節の重要な家庭習俗である。各家庭では庭や家の中を掃除し、菖蒲や艾を門の上に挿したり、室内に掛けたりする。また、菖蒲、艾の葉、ザクロの花、ニンニク、龍船花などを用いて人形や虎形の飾りを作り、それぞれ「艾人」「艾虎」と呼ぶほか、花輪や香りのある装飾品として身につけることもあった。

掛け方にも伝統的な決まりがある。古代中国では奇数と左側を陽に属するものと考えたため、「偶数ではなく奇数、右ではなく左に掛ける」とされた。艾を三本、五本、七本などの束にし、正門左側の門枠へ逆さに掛ける。艾、榕樹の枝、菖蒲を赤い紙で束ねて門に挿したり掛けたりすることも多かった。菖蒲は「天中五瑞」の第一とされ、その細長い葉が剣に似ていることから、不祥を断ち切る象徴とされ、方士たちはこれを「水剣」と呼んだ。

この習俗には、季節変化に対する長年の生活経験も反映されている。旧暦五月は盛夏にあたり、高温多湿となって細菌や蚊虫が増えやすい。艾は強い香りを放ち、古くから蚊などを遠ざけるために利用され、菖蒲にも芳香性の揮発成分が含まれている。これらを門や窓の近くに掛けることで香りが徐々に広がる。古人はそれを夏の湿気や邪気を避ける方法と捉え、剣に似た菖蒲の葉から「蒲剣、千邪を斬る」といった表現も生まれた。

端午節は古くから「衛生節」とも捉えられてきた。この日、人々は庭を掃除し、艾や菖蒲を掛け、歴史的には雄黄水なども用い、住環境を清潔に保ち、病を防ぐためのさまざまな行為を行った。したがって、これらの習俗には邪気を祓う儀礼的観念と、季節の衛生に関する実践的な知識の双方が含まれている。

歴史的由来

艾と菖蒲を掛ける習俗には長い歴史があり、唐代の黄巣の乱に結びつける民間伝承もある。伝説によれば、黄巣の軍が五月に鄧州へ迫った際、黄巣は城外で、荷物を背負い、一人の幼児の手を引きながら、より年長の少年を抱いて逃げる若い女性に出会った。理由を尋ねると、年長の子は亡き兄の遺児で、幼い子は自分の実子だという。黄巣はその女性の義心に感銘を受け、道端の艾と菖蒲を剣で切り、「これを門に掛けよ」と伝え、軍にも「艾蒲を掛けた家は保護せよ」と命じた。女性が近隣の人々へ知らせると、翌日の端午節には町中の家々が艾と菖蒲を掛けた。黄巣は約束を守り、軍を率いて去ったという。この伝説から、端午節に艾と菖蒲を掛ける習俗が広まったとされる。

伝統医学では、艾は温性で苦辛、菖蒲も芳香性を持つ植物として扱われてきた。両者の揮発成分には一定の生物学的作用があり、一部の虫を遠ざけることもあるため、門や窓に掛ける習俗は、夏季の住環境を整える古い生活知の一つとして理解することもできる。

参加方法

端午節の朝、市場で新鮮な艾と菖蒲を購入し、三本または五本ほどを赤い紐で束ねて、正門左側の門枠に逆さに掛けることができる。窓辺や室内に飾ってもよい。新鮮な艾が手に入りにくい場合は乾燥艾を利用する方法もある。外国からの旅行者にとっても、端午節の日に中国の家庭の入口に掛けられた艾や菖蒲を見ることは、この古い習俗における植物利用、儀礼的象徴、季節衛生の関係を理解する手がかりとなる。

香囊を身につけ、五色の糸を結ぶ

主な地域: 中国全土

時期: 端午節当日(香囊は夏の間身につけることもある)

分類: 装身・祈福

行事の内容

香囊を身につけ、五色の糸を結ぶことは、端午節を代表する装身と祈福の習俗である。香囊は香包、香袋、荷包などとも呼ばれ、五色の糸で編んだものや、端切れを縫い合わせたものがある。内部には伝統的に蒼朮、藿香、佩蘭、白芷、薄荷など芳香性の植物が入れられ、外側を絹布で包み、五色の糸で結んでさまざまな形に仕上げる。

香囊には年齢による好みもあった。高齢者は梅、菊、桃、リンゴ、蓮などの吉祥的な形を好み、子どもには虎、豹、猿、鶏などの動物をかたどったものが人気だった。若者の間では恋愛の贈り物となることもあり、恋する娘が自ら特別な香囊を作り、端午節前に思い人へ贈ることもあった。

五色の糸は古く「五彩長命縷」とも呼ばれ、青・赤・白・黒・黄の五色から構成される。この五色は吉祥色とされ、端午節には子どもの手首、足首、首などに結び、邪気や五毒を避け、平安を願った。地域によっては旧暦六月六日まで身につけてから切って川へ流し、別の地域では勝手に切ったり捨てたりせず、夏最初の大雨や最初の入浴の際に外して水へ流した。陝西の伝承では、この習俗を名医・孫思邈の故事と結びつけることもある。

香囊は単なる装飾品ではない。伝統医学では、身体の近くに芳香植物を携帯することは「衣冠療法」の一種として理解されることもあり、その香りは気分を爽やかにし、湿気の多い夏に感じやすい倦怠感などを和らげるものと考えられてきた。

歴史的由来

香囊を身につける習俗は古い。陳示靚『歳時広記』が引用する古い文献には、赤白の布で小袋を作り、彩糸を通して花の形にしたものや、蚌粉を布袋に入れて子どもに持たせ、汗を吸わせた「蚌粉鈴」などが記されている。その内容物は時代とともに、蚌粉、護符、銅銭、雄黄粉、香料や芳香植物へと変化し、製作技術も洗練され、やがて端午節を代表する民間工芸品となった。

参加方法

端午節の朝、子どもの手首や足首に五色の糸を結ぶことができる。また、香囊を購入したり、自分で布や香料を選んで作ったりして、胸元、腰、バッグなどに掛けることもできる。

雄黄酒と画額

主な地域: かつて中国各地、とりわけ北方で盛ん

時期: 端午節当日

分類: 健康・祈福

行事の内容

雄黄酒を飲むことは、かつて端午節の重要な習俗の一つであった。雄黄は鶏冠石とも呼ばれる黄から赤色の鉱物で、ヒ素化合物を含む。伝統的には酒に混ぜて飲み、虫や「五毒」を遠ざけるものと考えられた。また子どもの耳、鼻、額、手首、足首などに雄黄酒を塗り、蚊、蛇、サソリ、ムカデ、ヤモリ、クモなどを寄せつけないよう願った。

「画額」とは、端午節に雄黄を子どもの額へ塗る習俗で、代表的なのが漢字の「王」を描く方法である。ここには二重の意味がある。一つは雄黄によって毒を祓うこと、もう一つは「王」の字を虎の額の模様に見立て、百獣の王である虎の力によって邪気を鎮めることである。『河曲県志』や清代の『燕京歳時記』などにも、端午節に子どもへ雄黄を塗る習俗が記録されている。

歴史的由来

雄黄酒の習俗は古く、漢代まで遡るとされる。古人は雄黄をさまざまな毒に対抗できるものと考え、端午節に用いた。しかし、現代医学では雄黄酒を飲むことは明確に推奨されない。 雄黄にはヒ素化合物が含まれ、条件によっては強い毒性を示す物質へ変化する可能性があり、摂取によって胃腸障害、嘔吐、血尿、痙攣、昏睡、さらには死亡を招く危険がある。そのため、今日では文化的な歴史習俗として理解すべきであり、健康法として実践すべきではない。外用についても慎重さが必要である。

参加方法

現代にこの習俗を体験する場合は、文化行事の再現を見学したり、安全なフェイスペイントを使って象徴的に「王」の字を描いたりする方法が適している。雄黄酒を飲むべきではなく、直接雄黄を使用せずに済む安全な代替方法を選ぶことが望ましい。

五毒を避け、疫病を防ぐ

主な地域: 中国全土

時期: 端午節前後

分類: 健康・祈福

行事の内容

古人は旧暦五月を危険の多い時期と考え、「毒月」「毒日」という表現を用いた。「五毒」が活発になるとされ、その構成は地域によって異なるが、蛇、ムカデ、サソリ、ヤモリ、クモ、ヒキガエルなどが含まれる。したがって端午節には、屈原を記念するだけでなく、害虫や疾病を避けるための多様な習俗も発達した。地域によっては五種類の赤い料理を「五毒の血」に見立て、それを食べることで五毒を制することを象徴した。

薬草採集も重要な活動の一つである。古くは端午節に人々が連れ立って郊外へ出て薬草を採った。この時期には植物の薬性が強いと考えられ、艾、菖蒲などさまざまな草を採集し、乾燥保存したり、煮出して入浴に使ったりした。薬草湯で身体を洗うことは、病を遠ざけ、身体を健やかに保つ方法と考えられた。

また、「午時水」を汲む習俗もある。これは端午節の正午ごろ、井戸や川から汲んだ水を指す。正午は陽気が最も盛んな時間と考えられたため、この水には特別な力があるとされ、茶を淹れたり、酒造りや入浴に使ったりした。この習俗は特に南方で盛んであった。

歴史的由来

「五毒を避ける」習俗は、夏季の疾病に対する古人の警戒から生まれた。旧暦五月は高温多湿で、蚊虫が繁殖しやすく、病気も発生しやすい。このため、艾や菖蒲を掛ける、香囊を身につけるといった習俗が生まれた。これらは中国における古い季節衛生文化を示すものであり、端午節が「衛生節」と呼ばれる理由の一つでもある。薬草採集、薬草湯、午時水なども、同じく夏季の健康維持への関心から形成された。

参加方法

端午節には艾や菖蒲など、祭日と関係の深い植物について学んだり、安全な材料を用いて足湯や芳香浴を楽しんだりすることができる。「午時水」を現代都市で文字どおり再現することは難しいが、正午に安全で清潔な水を用いて象徴的に体験することはできる。

斗百草と薬草採集

主な地域: 中国全土

時期: 端午節前後

分類: 民間遊戯 / 採集活動

行事の内容

「斗百草」は、古代の端午節を代表する遊びの一つであった。人々が連れ立って郊外へ薬草を採りに行くなかで、採った草を使って競うようになり、やがて祭日の遊戯として定着した。二人がそれぞれ草や花の茎を持ち、互いに引き合い、先に茎が切れた側が負けとなる。遊び方にはいくつかあり、植物の名前を答え合う「文斗」と、茎を絡めて強度を競う「武斗」が代表的である。

斗百草は単なる娯楽ではなく、自然や植物について学ぶ機会でもあった。草木が繁茂する端午の時期、人々は薬草採集と遊びを組み合わせ、同時に交流を深めた。唐宋時代には特に盛んで、白居易も「弄尘复斗草,尽日乐嬉嬉」と、子どもたちが一日中斗草を楽しむ姿を詠んでいる。

歴史的由来

斗百草の習俗は少なくとも南北朝時代まで遡る。南朝梁の宗懍『荊楚歳時記』には、五月五日に人々が百草を踏み、斗百草を行うことが記されている。唐宋時代には端午節を代表する娯楽となり、唐代の司空図の詩や宋代の『東京夢華録』にも関連する記述が見られる。斗百草は遊戯であると同時に、中国の「本草」、すなわち植物や薬物に関する伝統知識が日常生活の中に根づいていたことを示す文化でもある。

参加方法

端午節の散策中、安全な身近な草を使って簡単な斗草を楽しむことができる。子どもと一緒にさまざまな植物の名前や伝統的な用途を学ぶ自然教育として取り入れることもできる。

紙鳶を揚げる

主な地域: 主に中国南方

時期: 端午節前後

分類: 屋外活動

行事の内容

「紙鳶」とは凧の古称であり、一部の地域では凧を揚げることに「晦気を放つ」、すなわち災厄を遠ざけ、吉祥を願う意味が込められている。紙鳶には吉祥文様や吉祥文字を描き、竹ひごなどで作った骨組みに紙や絹を張り、長い糸をつけて風に乗せる。中国南方の一部では、端午節に子どもが凧を揚げることを「放殃」と呼ぶ。

この習俗は清明節の凧揚げとも共通し、疾病や災厄、不運を凧に託して風に運び去ってもらうという象徴的な意味を持つ。凧に描かれる吉祥文様や文字にも、平安や幸福への願いが込められている。

歴史的由来

中国の凧には長い歴史があり、春秋戦国時代にまで遡る。伝承では墨子や魯班が作った木鳶・竹鵲などが原型とされる。「鳶」は本来、トビのような猛禽を意味する。後世、凧揚げには災厄を遠ざけるなどさまざまな儀礼的意味が加わり、端午節の邪気払いという主題とも自然に結びついた。

参加方法

端午節には、公園や郊外の開けた場所で凧を揚げ、願い事や吉祥文様を描いて楽しむことができる。古くは糸を切って凧とともに災厄を飛ばすこともあったが、現代では安全と環境保護のため、糸を切らず、最後に凧を回収する方法が望ましい。

「躲端午」と疫病除けの習俗

主な地域: 中国の一部地域

時期: 端午節当日

分類: 疫病除け・祈福

行事の内容

「躲端午」は、旧暦五月五日を危険な日とみなす古い観念から生まれた特殊な習俗である。一部地域では、新婚の娘が端午節の前に実家へ戻り、「端午から身を隠す」ことで災厄を避けるとされた。この習俗は特に北方の一部で盛んであった。

端午節にはこのほかにも「五毒を避ける」一連の習俗がある。家庭に「五毒図」を貼ったり、衣服に五毒の文様を刺繍したりして、「毒をもって毒を制す」という象徴的な方法で五毒を遠ざけた。地域によっては端午節当日に外出を控え、家に鍾馗像を掛けて邪気や鬼を祓うこともあった。形態はさまざまだが、いずれも五月を危険な時期と捉え、健康を守ろうとする古人の意識を示している。

歴史的由来

端午節の厄除け習俗には長い歴史がある。漢代の応劭『風俗通義』には、五月五日に五色の糸を腕に結び「長命縷」と呼ぶ習慣が記されている。また、五月を危険な時期とする観念は、陰陽の力がせめぎ合う時期だとする古代の宇宙観とも関係していた。『礼記・月令』にも、この季節を陰陽が争い、生死が分かれる時期として捉える記述があり、五月を「悪月」、五月五日を「悪日」とする観念の形成につながった。

参加方法

現代では、五毒図や鍾馗像、五毒文様の刺繍などを通して、この伝統を文化として知ることができる。新婚女性が一時的に実家へ戻る「躲端午」も、現代の医学的行為ではなく、歴史的な家族習俗・民俗文化として理解するのが適切である。

地域による違い

地方の風習
十里ごとに風が変わり、百里ごとに習俗が異なる。広大な大地の上で、地域ごとの祭りの習俗はそれぞれ特色を持ち、中国文化の極めて豊かな多様性と包容性を示している。

華北地方

北京:かつて端午節には井戸水を汲むことを避け、祭日の前にあらかじめ水を汲み置きすることが多かった。これは「井戸の毒」を避けるためとされた。街の物売りは端午節になるとサクランボや桑の実を売り、「これを食べれば一年中、誤って蠅を口にすることがない」といわれた。菓子店では、五種類の毒虫を模様として描いた「五毒餅」も売られた。河北や北京には、端午節に黒い桑の実を食べれば蠅を食べずに済むという俗信があり、「五毒餑餑」と呼ばれる菓子を食べる習慣もあった。

河北:灤県では、婚約した男女の両家が端午節に贈り物を交換した。趙県では、地方官が城南で集会を開き、町の士大夫を招いて宴を催し、詩を詠む「踏柳」という行事が行われた。

山西:解州では男女が艾の葉を身につけ、これを「去疾」と呼んだ。幼児には首に百索を掛け、「屈原のために蛟龍を縛る」とされた。隰州では各村が龍王を祭り、田畑に紙を掛けた。懐仁県では端午節を「朱門」とも呼び、定襄県では学生が教師に節句の贈り物をした。潞安府では小麦粉を蒸した「白団」を作り、粽とともに贈り合った。晋語圏の一部では、黄米を蒸した「餾米」を食べる習慣も盛んである。

内モンゴル:東部では「転黄河」と呼ばれる九曲黄河灯陣を使った集団娯楽が行われ、牧畜地域には火を祭る伝統などがある。

東北地方

遼寧・吉林・黒竜江:満洲族では端午節に墓参りと祖先祭祀を行う際、柳の枝と五色紙で作った祭具「佛托」を立てた。また「埋蛋」という習俗があり、春耕前に畑のそばで卵を焼き、それを土に埋めて豊作を願った。民間では端午節を「挿柳節」と呼ぶこともあり、小根蒜を使った餅も食べられる。

華東地方

上海:粽を食べ、菖蒲や艾を掛ける。旧来は祖先を祭る習俗もあった。

江蘇:嘉定県では、貧富を問わず端午節には石首魚を買って調理した。儀徴には「ズボンを質に入れてでも黄魚を買う」という俗諺があった。南京では清水に少量の雄黄と古銭二枚を入れ、その水で家族全員が目を洗う「破火眼」という習俗があり、一年間眼病を患わないとされた。武進では夜間の龍舟競渡があり、舟の周囲に小さな灯籠を掛け、笛や太鼓、歌を伴って競漕した。高郵では百索子、五毒図、護符、黄煙、「十二紅」などの習俗があり、子どもは彩糸の網に美しいアヒルの卵を入れて胸に掛ける「鴨蛋絡子」を好んだ。江蘇の一部には昼食に十三種類の赤い料理や酒からなる「十三紅」を食べる習俗もあり、蘇州・常州・南京などでは黄魚、キュウリ、タウナギ、塩漬けアヒル卵の黄身、雄黄酒からなる「五黄」を食べる。

浙江:桐廬県では旧来の私塾の児童が端午節に師へ贈り物をする「衣絲」という習慣があった。医家は正午に薬草を採り、この日は「天医星」が空に現れると伝えられた。嘉興では粽のほか、菖蒲や艾を掛け、蒼朮や白芷を焚き、香袋を身につけ、「五黄」「五白」や煨蛋を食べる。浙江北部では鍾馗の像を押した「天師印豆腐」、武義・金華・衢州などではニンニクを食べる。金華周辺では嫁いだ娘が両親に粽や豚肉などを届ける「担端午」があり、寧波の「端午担」では魚、肉、ガチョウ、酒など四種類から十二種類ほどを籠に入れて贈る。温州では緑豆もやし、ニラ、細切り肉、卵、シイタケなどを具にした、絹のように薄い半透明の餅を筒状に巻いて食べる。

安徽:百草を踏む、実家へ帰る、龍舟競渡、都市部の粽、農村の餅、菖蒲や艾を掛ける、雄黄酒を飲む、香包や五彩の飾りを身につける、斗百草など、多様な習俗がある。斗百草には植物名を答え合う方法と、茎の強さを競う方法がある。都市では粽、農村では「大葉粑」が一般的で、合肥ではタウナギとスッポン、懐寧では小麦粉と酒醸を発酵させて青桐や蓮の葉の上で蒸す「端午粑」を食べる。和県では昼食に麦酒、鰣魚、干しガチョウなどを食べることを「賞午」と呼ぶ。安慶では端午を「五月節」または「女児節」と呼び、女性たちは連れ立って郊外へ出たり、実家へ戻って親戚を訪ねたりする。

福建:福州ではかつて、嫁が舅姑に寿衣、靴下、団粽、扇子などを贈った。建陽県では五月五日を薬王が薬袋を干す日とし、各家庭で醤を作った。上杭県では小舟に葦を結びつけて龍の形を作り、水辺で競渡した。仙遊県では競渡後、虎嘯潭で紙銭を焚き、戚継光に関係する溺死した兵士を悼んだ。邵武府では女性が赤い紗の袋に護符を入れ、五色の糸で装飾を作り、少女はそれを背中に掛けて「竇娘」と呼んだ。晋江ではもち米粉、砂糖、砕いた揚げピーナッツ、ゴマなどから作る「煎堆」を食べる。閩南には、端午前の長雨を「天に穴が開いた」と捉え、煎堆を食べて「天を補う」という伝承もある。ヤマモモ、桃、李、ビワなどの旬の果物を食べ、祖先への供物にもする。

江西:建昌府では百草を煮出した水で入浴し、皮膚病を防ぐとされた。新昌県では雄黄と丹砂を酒に入れて飲むことを「開眼」と呼んだ。南昌では茶葉蛋や塩水卵を食べる。このほか粽、雄黄酒、菖蒲・ヨモギ・艾を掛ける、豆娘という髪飾りを作る、五彩縄を編む、香包を身につける、額に印を描く、龍舟競渡などの習俗がある。

山東:鄒平県では早朝に一杯の酒を飲めば邪気を避けられるとされた。日照では子どもに七色の糸を巻き、端午後最初の雨まで身につけ、その後雨水に捨てた。臨清県では七歳未満の男児が麦わらで作った護符を、女児がザクロの花を身につけ、母親が作った黄色い布靴を履いた。靴には五毒が描かれた。即墨では端午節の朝、露で顔を洗った。

華中地方

河南:河南や浙江などの農村では、ニンニクと卵を一緒に煮て端午節の朝食とする。

湖北:黄岡市巴河鎮では儺の行事に参加する人々が花冠をかぶり、身体に文様を描き、金属音を鳴らして疫病を追い払う。宜昌市秭帰県では旧暦五月十三・十四・十五日の競渡が特に盛んで、屈原を記念する祭祀や招魂なども行われる。五月十五日は「大端陽」、五月二十五日は「末端陽」と呼ばれ、粽を食べ蒲酒を飲む。秭帰には、正午に水を盆に入れて日光に当て、温まった水で子どもを入浴させ、穢れや病を洗い流すという習俗もある。

湖南:汨羅江流域の端午習俗は国家級無形文化遺産であり、粽、艾、菖蒲、雄黄酒、龍舟競渡のほか、龍頭の彫刻、神木を得る行為、賛歌、龍舟の進水、龍頭への赤布、廟参り、龍祭、屈原祭祀などがある。汨羅の伝統龍舟は龍頭鳳尾の「飛鳧式」で、進水前には掌墨師が龍頭祭祀、上紅、点睛などの儀礼を行う。また夜明けに汨羅江へ水を汲みに行く「搶龍水」の習俗がある。攸県では妊婦のいる家が龍舟の龍頭前に供物を捧げ、安産を祈願した。岳州府では競渡を災厄・疾病除けとし、草舟を流す「送瘟」も行われた。

華南地方

広東:広東では龍舟を漕ぐことを「扒龍船」と呼ぶ。広府の農村では旧暦五月一日から五日までが龍舟の季節で、東莞の水郷では各鎮が交代で行事を開催し、約一か月続く。深圳では「扒龍舟」と呼び、舟上に羅傘を置く競渡もある。粽には咸肉粽、裹蒸粽、林旁粽、鹼水粽など多くの種類がある。従化県では正午に符水で手や目を洗い、その水を道へ撒く「送災難」、新興県では神像の巡行や法水・護符による邪気払い、石城県では子どもの凧揚げ「放殃」が行われた。恵州では粽を隣人や親族と贈り合う「角黍互饋」が重要で、広東・香港・マカオでは粽とともに布渣葉茶を飲み、消化を助ける習慣もある。

広西:龍舞、獅子舞、腰鼓などの芸能が行われる。寧明、崇左、龍州など南部では、植物の枝葉を焼いた灰を水で濾し、その灰汁にもち米を浸して包む「灰水粽」を作る。淡黄色から黄褐色となり、草木灰特有の香りを持つ。広西では肉膾、もち米、苦瓜も食べるため、端午節を「苦瓜節」と呼ぶ地域もある。

海南:各地で龍舟競渡が行われる。定安には明代成化年間以来の古城門に龍舟に関わる遺構が残り、文昌の沿岸・河川地域では龍舟競渡によって平安を祈る。最も特色ある習俗は「洗龍水」で、海南では川や海の水を「龍水」と呼び、端午の正午にこの水で身体を洗うことを龍神とともに沐浴することと捉え、邪気や不運を払うとされた。水には艾、檳榔の花など五種類の草花を加えることもある。龍舟、粽、菖蒲・艾のほか、薬草風呂の習俗もある。

香港・マカオ:香港では端午の龍舟競渡が行われ、広東・香港・マカオでは粽とともに布渣葉茶を飲んで消化を助ける習慣がある。

西南地方

四川:石柱(現在の重慶)には「出端午佬」という習俗があり、四人が二本の竹竿で赤い布を敷いた大きな机を担ぎ、その上に竹で編んだ虎に乗る道士像を置き、鉦や太鼓を鳴らして街を練り歩いた。かつて四川西部では成都城楼付近で李を投げ合う端午の遊びもあったが、清末に廃れた。楽山・新津などでは龍舟競渡と大規模な市が同時に開かれる。綿陽・遂寧の一部では餃子に似た「包面」を食べ、四川では粽、塩卵、ヒユも一般的である。

重慶:石柱には「出端午佬」の習俗があり、銅梁では龍舞などの伝統芸能が行われる。

貴州:黔東南や松桃などのミャオ族は旧暦五月五日前後に「龍船節(龍舟節)」を祝う。台江では天然植物で染めた五色のもち米から五彩粽を作る。施洞鎮では旧暦五月二十四日から二十七日に、ミャオ語で「掐仰勇」と呼ばれる独木龍舟節が開催される。三本の大きな杉をくり抜いて組み合わせた舟を用い、立ったまま漕ぐのが大きな特徴である。この祭りは2008年に国家級無形文化遺産に登録された。鎮遠では儒教・道教・仏教が融合した祭龍儀礼が伝わり、採蓮船、龍舞、蚌殻舞、ミャオ族の踩鼓舞、ミャオ族・トン族の蘆笙舞なども披露される。トン族では揚げ餅などの伝統食も作られ、貴州の一部では「遊百病」の習俗も盛んである。

雲南:神迎え、供物、初献・亜献、飲福受胙、望燎(神送り)などの儀礼に加え、漢服、詩の朗読、越劇、射礼なども行われる。普洱では一般に粽ではなく「薬根」を食べる。「端午を過ごし、薬根を食べ、胃腸を入れ替えれば、一年中病気にならない」という俗諺があり、数種類から十数種類の薬根を鶏肉、スペアリブ、ハムなどと煮込んで「薬根湯」を作る。端午前後は病気予防に重要な時期と考えられ、薬草採集の習慣から「薬根節」としての性格も生まれた。保山昌寧のプーラン族の村では、数十種類の新鮮な薬草を地鶏やハムと煮込んだ薬膳を食べる。

チベット:チベット暦の祭日が端午節と近接・重複する場合には、香木を焚いて祈る「煨桑」、鍋荘舞、経幡を掲げるなどの行事が見られる。

西北地方

陝西:興安州では地方官が属官を率いて競渡を観覧する「踏石」が行われた。興平県では絹で小さな角黍を縫い、その下に小さな人形をつけて「耍娃娃」と呼んだ。銅川県では蒲・艾・紙の牛を門に貼る「鎮病」が行われた。陝西では端午節に臊子麺を食べる習慣もある。

甘粛:静寧州ではバラを摘んで蜂蜜に漬けた。鎮原県では新婚夫婦に香扇、絹織物、手巾、艾虎などを贈り、若者が父兄とともに師を宴へ招くことを「享節」と呼んだ。漳県では牧童が山神を祭り、夜明け前に薪を積んで燃やす「焼高山」を行った。民勤県では扇形の「麺扇子」を蒸し、これは扇を贈る古い習慣に由来するとされる。

寧夏:回族の家庭では油香、馓子などの伝統的な揚げ物を作り、社火の芸能も行われる。

青海:チベット族地域では鍋荘舞や社火などが行われる。

新疆:漢族家庭では粽を作り、艾を掛ける。各民族の人々が互いに祝福を交わす。

台湾:福建南安・晋江と同様に「煎䭔」を食べる習俗があり、鄭成功の忌日と端午節の習俗が融合したものだとする説もある。桃、ナス、豆類を健康長寿の象徴として食べ、各地で龍舟競渡や粽作りも行われる。

南方――龍舟競渡と豊富な節令食品

中国南方には河川が多く、舟は歴史的に重要な交通手段であった。そのため端午節の競渡も早くから発達し、とりわけ湖南、湖北、江蘇、浙江で盛んである。また南方は物産が豊かで、端午の節令食品も多彩である。江南では一般に「五黄」として、タウナギ、黄魚、キュウリ、塩漬けアヒル卵、雄黄酒を食べる。高郵や揚州などには「端午十二紅」と呼ばれる食品群もあり、塩漬けアヒル卵、ハム、油爆蝦、紅焼鴨、ヒユ、雄黄酒、黄魚、玫瑰砂、バラ、ザクロの花、サクランボ、ビワなどが含まれる。南方の粽には甘味だけでなく肉入りなどの塩味も多く、「枕頭粽」と呼ばれる細長いものもあり、主に箬竹の葉で包む。また、菖蒲や艾を門の上や室内に掛ける習俗も広く見られる。

北方――邪気・疫病除けと家庭行事

大きな水域が少ない北方では、歴史的に龍舟競渡はそれほど一般的ではなかった。端午節の雰囲気も比較的穏やかで、邪気や疫病を避けること、家庭内で行う行事がより重視された。北方の粽は一般に甘く、三角錐形で葦の葉を使うものが多い。東北では黄米とナツメの粽、茶葉蛋、伝統的な遊戯、かつての雄黄酒、野外散策、五色の糸などの習俗がある。北京・天津・河北では端午節を「女児節」と呼ぶこともあり、香囊、鍾馗像、五色索などが特徴的である。北方では端午の時期にまだ多くの農産物が成熟していないため、伝統的な季節食品は比較的少なく、粽、卵、煮ニンニクなどが中心となる。

結び

余韻

端午節の民俗は、「毒や災いを遠ざけること」と「記憶し、顕彰すること」という二つの主題を軸に展開する壮大な文化絵巻である。川面を埋める龍舟競渡から、各家庭に香り立つ粽まで、門に掛けられた艾と菖蒲から、子どもたちが身につける香囊と五色の糸まで、雄黄酒や画額による古い祈福の習俗から、斗百草や薬草採集による自然との触れ合いまで、端午節の習俗には、夏季の疫病に対する古人の警戒と対処の知恵が受け継がれると同時に、歴史上の人物を追慕し敬う中国社会の集合的記憶も深く刻まれている。

端午節はまた、「毒や災いを祓う」祭日でもある。古人は旧暦五月を「悪月」、五月五日を「悪日」と考え、艾を掛ける、香囊を身につける、雄黄を用いる、額に印を描くといった一連の習俗を通して、夏季の疾病や災厄に備える文化体系を形成した。これらの習俗の一部は古代社会特有の儀礼観念に基づいているが、その一方で、長い生活経験から蓄積された実践的な知識も含まれている。芳香性の植物の一部には虫を遠ざける作用があり、住居を掃除することは不衛生な環境を減らし、さまざまな植物には実際に生物活性成分が含まれる。このため、端午節は中国最古級の「衛生節」の一つとも評されてきた。

しかし端午節は同時に、「記念」の祭日でもある。屈原の悲劇的な最期は、古くから存在した季節的な祭日に深い人文的意味を与えた。二千年以上にわたり、中国の人々は龍舟競渡や粽を通して、この著名な詩人・政治家の記憶を世代から世代へ伝えてきた。もともと疾病除け、水上祭祀、災厄払いなどと関係していた可能性のある龍舟競渡には、次第に先賢を顕彰する道徳的意味が加わり、神々や祖先への供物であった粽もまた、記憶と感情を託す食べ物となった。このように端午節の習俗は、伝承される過程で絶えず新たな意味を取り込み、豊かになってきた。

端午節の文化は最終的に、「災厄を祓うこと」と「記念すること」を一つに結びつけた。災厄を祓うことは生命を守ることであり、記念することは精神を継承することである。前者が身体の健康に関わるなら、後者は価値や記憶の持続に関わる。川面を進む龍舟はその双方を象徴している。それは古い厄除けの祭祀文化に属すると同時に、二千年以上にわたって敬われてきた人物の記憶を追い続ける舟でもある。手にした粽もまた、食べ物であると同時に記憶を託す媒体である。このように、身体と精神、日々の生活と文化的記憶の双方を重んじることこそ、端午節が二千年以上の時を越えてなお生命力を保ち続けている重要な文化的理由の一つである。

2009年、端午節はユネスコの「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に登録され、中国の伝統的な祝祭として初めて世界無形文化遺産に登録された。端午節の習俗は、中国文化における「天人合一」の思想を日常生活の中で具体的に表現するとともに、家族、共同体、歴史的記憶を大切にする価値観を映し出している。生命を守ることと記憶を継承することのあいだで、端午節は今日もなお、生命と精神、現在と過去を結ぶ文化的対話を続けている。

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