兎民俗
「 卯门生瑞气,玉兔降吉祥。 」
歳時節令:
正月:兎頭を掛け、新春の福を祈る
元日に兎頭を掛ける——邪を退け、災いを祓う
古代の漢民族には、「兎頭を掛ける(挂兔头)」という歳時習俗があり、中国各地に広く分布していた。毎年旧暦正月初一になると、人々は小麦粉の生地で兎の頭や蛇の形を作り、雪解け水を入れた竹筒、年幡、仮面などとともに家の正門の上部に吊るし、邪気を鎮め、災厄を祓うことを願った。民俗学者の黄桂秋によれば、「兎頭を掛ける」といっても本物の兎の頭を吊るすのではなく、生地をこねて作ったものであり、もっとも一般的なのは、雪水を入れた竹筒、年幡、仮面などと一緒に門の上へ掛ける方法であった。宋代の文献にはすでに、正月初一に門上へ兎頭を掛ける記録が見られる。古人はこうした「生命力の光輪」ともいうべき象徴を通じて、福を招き邪を退けようとしたのである。この習俗は、兎の「生命力」と「吉祥性」に対する古代人の信仰を映し出しており、兎頭を掛けるという象徴行為によって、その瑞祥の力を家の内へ迎え入れようとしたものだった。
兎灯をともす——神を迎え、福を招く
旧暦正月十五日の元宵節(元宵节)には、民間で兎灯籠をともす習俗がある。その歴史は南北朝時代までさかのぼることができる。江西省寧都県一帯では、色紙を母兎と子兎の形に組み、村落、祠堂、各家々を巡って練り歩いた。大布地方の「過灯」という伝統民俗は唐代に盛んになったとされ、人々は兎を吉祥の動物と考え、兎灯籠が通った場所には吉祥と幸運が届けられると信じた。宋代になると、臨安の灯市ではすでに「玉兎灯(玉兔灯)」が売られていた。元宵節に兎灯籠をともす習俗は、満月と月兎が寄り添うという伝説とも響き合い、神々の加護と一家の幸福を願う美しい祈りを託している。
填倉節と兎
旧暦正月二十五日の填倉節(填仓节)には、一部地域で兎神を祀る習俗があった。中国北方の農家では、填倉節に小麦粉の生地を兎の形に作り、穀倉の中へ置くことがあり、兎を「倉神」として迎え、五穀豊穣をもたらしてくれるよう願った。
清明:梁に吊るす「兎寒燕」
清明節(清明节)の前後には、民間に「梁に兎寒燕を吊るす」という習俗がある。「寒燕」とは、小麦粉の生地を燕や兎の形に作った食べ物で、蒸し上げた後に糸でつなぎ、家の梁から吊るす。祭祀に用いることもあれば、子どもに食べさせることもあった。兎の形をした寒燕には、消化を助け、病を除き、子どもの健やかな成長を守るという意味が込められていた。この風習は晋北や陝北などに今も伝承が残る。清明節や寒食節には特別な花饅頭(花馍)も作られ、蛇が兎に巻きつく形に成形し、両者の組み合わせを豊かさの象徴とした。
端午:兎の香袋
端午節(端午节)には、民間で兎香包を刺繍して作る習俗がある。絹や布を兎の形に縫い、艾草や雄黄などの香料を詰め、身につけたり門口に吊るしたりして、毒を退け、邪を避けるために用いた。兎の温順で穏やかな性格と、端午に五毒を祓うという主題とが結びつき、兎香包は端午独特の民俗装飾となった。また端午の頃、子どもが五毒を刺繍した胴着を着る地方もあり、周囲に五毒、中央に虎や兎を配し、神聖な動物が五毒を鎮めることを表した。
中秋:兎児爺と月祭り
中秋節は、兎ともっとも深く結びついた中国の伝統祭日である。月宮に住む玉兎というイメージを通じて、兎は中秋民俗の中心的な存在となっている。
月を祀り、兎を拝む
『唐書・太宗記』によれば、中秋の月祭りで祀られた神々や神物の中で、人々がもっとも早く祭祀の対象としたものの一つが玉兎であったとされる。『楚辞』の時代にはすでに玉兎に関する伝説が存在し、屈原は『天問(天问)』の中で「厥利維何,而顧菟在腹?」と問いかけている。漢代の王逸が『天問』を注釈した際、この「菟」を兎と解した。こうして月を祀り、兎を拝する習俗は代々受け継がれていった。
兎児爺を供える
中秋になると、旧北京には兎児爺(兔儿爷)を供える習俗があった。明代の紀坤は『花王閣剩稿(花王阁剩稿)』に、「京中秋節多以泥摶兔形,衣冠踞坐如人状,兒女祀而拜之」と記している。清代になるとこの習俗はいっそう盛んとなった。『燕京歳時記(燕京岁时记)』には、「毎届中秋,市人之巧者,用黄土摶成蟾兔之像以出售,謂之兔兒爺」とある。兎児爺は兎の頭に人の身体を持ち、玉杵を手にし、大将軍の装いをまとって威風堂々としている。山石の上に座るものもあれば、猛虎の背にまたがるものもある。乗騎にもそれぞれ意味があり、麒麟は「麒麟送子」、瑞虎は「邪を退ける」、象は「吉祥如意」を表す。祭祀が終われば、子どもたちは兎児爺像を日常の玩具として遊んだ。毎年中秋になると一家を守る兎児爺を一体家へ迎え、翌年の中秋前に送り出すことで、一年間の災いや病もともに去っていくことを願ったのである。
兎灯籠を引く
広西靖西などでは、旧暦八月十五日になると、「兎灯籠を引く(拉兔子灯)」風習がある。この兎灯籠は一般的な提灯とは異なり、非常に大きく、底には四つの小さな車輪が付いている。中秋の夜になると、子どもたちはそれを引きながら街路や路地を歩く。兎が吉祥の動物とされるため、兎灯籠が通過した場所には吉祥と幸運が届けられると考えられている。
兎の日と卯の日
伝統民俗では、卯日(兎の日)にも一定の決まりごとがあった。『占書』によれば、正月初一から初六まではそれぞれ鶏、犬、羊、豚、牛、馬の日とされる。兎は六畜には含まれないものの、生肖文化の中ではやはり特別な位置を占めている。卯時(卯时)、すなわち早朝5時から7時頃は「兎時」とも呼ばれ、古人はこの時間帯を兎が巣穴から出て餌を探す時刻と考え、新生と希望を象徴するものとみなした。
民間信仰:
中国の民間信仰において、兎には複数の神聖な側面がある。すなわち、祥瑞の兆しとしての白兎、月宮の仙兎としての玉兎搗薬、そして生命のトーテムとしての多子多福の象徴である。
白兎の祥瑞
中国古代において、兎は祥瑞の獣と考えられていた。白という色そのものが神秘性を帯び、白い動物はその希少性ゆえに、古人から瑞祥の徴とみなされることが多かった。
古書『瑞応図(瑞应图)』には明確に、「赤兔大瑞,白兔中瑞」と記されている。「赤兎」は赤い毛色の兎で、最高位の祥瑞とされ、「白兎」は白い兎で、中位の祥瑞と位置づけられた。『漢書』によれば、建平元年、元和三年、永康元年に地方の民が三度白兎を捕らえ、皇帝へ献上したという。『後漢書』にも「九月,日南徼外蛮夷献白雉、白兔」とあり、『明史』にも同様の記録が見える。
白兎を得ること、あるいは白兎を献上することは、天が瑞徴を示したことを意味した。「白色は清浄の象徴であり、古人はしばしば白を正色とした。民間では月の中に兎がいると伝えられ、白兎や玉兎をもって月を喩えることが多い」とされたのである。もし白兎を古代の宮廷へ持ち込めば、歌舞をもって献上し、君主の賢明さと天下の泰平を示す瑞祥として扱われたであろう。かつては白兎が子を産んだことさえ国家的な吉兆として祝われ、「王者に仁徳あれば白兎現る」という伝説も語られた。「人中の龍鳳、馬中の赤兎」といわれるように、呂布の赤兎馬は名馬の象徴となった。白兎は瑞、黒兎は祥とされ、古代の野兎の多くが灰褐色であったため、白兎は極めて珍しい変異個体であり、それゆえ「中瑞」として皇帝へ献上されたのである。
玉兎搗薬
兎と月との結びつきは、中国でもっとも深く人々の心に根づいた民間信仰の一つである。
月中の玉兎の起源
中国で兎と月を最初に結びつけた文献は、戦国時代の楚の詩人・屈原による『天問(天问)』である。「夜光何德,死則又育?厥利維何,而顧菟在腹?」とあり、「菟」は兎を指す。漢代になると王逸が『天問』に注を付し、この「菟」が兎であることを確認した。以後、兎と月は切り離せない関係となった。漢代の『淮南子』には、「月中に桂樹があり、その傍らで玉兎が薬を搗く」という神話が記されている。
玉兎が薬を搗く伝説
伝説によれば、月の中には全身が玉のように真っ白な兎がおり、そのため玉兎(玉兔)と呼ばれる。この玉兎は玉杵を持ち、地に跪いて薬を搗き、その薬丸はあらゆる病を癒し、さらに長生して仙人になる力まで持つとされた。玉兎搗薬の姿は、人々が長寿と永年を願い、永遠を求めてきた夢を映し出している。千百年にわたり、玉兎は桂花の樹の下で薬を搗きながら、人間世界へ福を授ける存在として語り継がれてきた。
兎は月の異称
「兎」はまた、民間で月を表す異称でもある。古くから「金烏西に墜ち、玉兎東に昇る(金乌西坠,玉兔东升)」という言い方があり、歴代文学でもしばしば用いられてきた。盧照鄰の『江中望月』には「沉钧摇兔影,浮桂动丹芳」、李紳の『奉酬楽天立秋夕有懐見寄』には「冰兔半升魄,铜壶微滴长」と詠まれている。「兎宮」「兎闕」「兎窟」といった語も、いずれも月を指す表現として用いられた。
兎トーテムと生殖崇拝
兎はそのきわめて強い繁殖力ゆえに、遠古の時代から生殖崇拝のトーテムとみなされてきた。「月を望んで孕み、口から子を吐くゆえに兎という」という古い説明があり、兎には雌雄がなく、月を見て妊娠するとする説さえあった。旺盛な生命増殖への憧れから、遠古の人々は兎トーテムを通じて生殖への崇拝を表し、兎文様をさまざまな器物に用いた。多子多福を尊ぶ時代には、兎の「吐子」というイメージが、多くの子を得て家系が栄えるという生育観と強く結びついた。兎は交尾後およそ29日で出産するため、その旺盛な繁殖力が遠古の先民にとって崇拝の対象となったのである。
兎と西王母
中国古代神話では、兎の姿はしばしば仙人や神々と結びついている。西王母(西王母)の図像には、薬を搗く霊兎がたびたび描かれる。伝説では、兎は玉衡星が化したものであり、長寿の存在とされた。東晋の葛洪は『抱朴子・内篇』に、「虎及鹿兔,皆寿千岁,寿满五百岁者,其毛色白。能寿五百岁者,则能变化。」と記している。ここからも、伝統文化において兎が長寿を象徴していたことがうかがえる。古代中国の伝説では、皇帝が功績ある老人に白兎を賜り、健康と長寿を祝福したとも伝えられている。
少数民族における兎崇拝
中国の歴代社会でも少数民族でも、兎、とりわけ白兎をめぐるトーテム崇拝の文化伝統が見られる。台北故宮の元文献図書処研究員・荘吉発は、白兎を見ること、得ること、あるいは献上することはいずれも、天が瑞徴を示したことを意味すると指摘している。兎はまた良善の象徴でもあった。東漢の蔡邕は博学で、天文や術数にも通じ、絵にも巧みであっただけでなく、孝子としても知られる。母を亡くした後、その庵室の傍らにはおとなしい兎が自ら現れ、彼に寄り添ったと伝えられる。少数民族の兎崇拝は漢民族ほど体系化されてはいないものの、民間説話や芸術の中で、兎はやはり吉祥と善良の象徴として現れている。
吉祥寓意:
兎は中国の吉祥文化において重要な位置を占める。「玉兎呈祥」から「前兔無量」まで、その吉祥的意味はきわめて豊かで多彩である。
兎年の吉祥語
兎年になると、とりわけ多くの祝福表現が生まれる。「玉兎呈祥(玉兔呈祥)」――玉兎が吉祥をもたらす。「前兔無量(前兔无量)」――「前途無量」との語呂合わせで、限りない未来を意味する。「大展宏兔」――「大展宏図」との語呂合わせで、大きく志を展開することを願う。さらに「吉兔送福」、「兔年納福」、「兔年吉祥」、「福兔迎春」など、兎は新春の福を運ぶ存在として多様な祝言に姿を現す。
兎の吉祥象徴
兎は古来、吉祥と美好の象徴であった。機敏でありながら従順、穏やかで平和という性質から、人々に長く愛されてきた。兎は瑞祥の兆しとされ、長寿と繁栄を象徴する。民間には「吉兎送福」「玉兎呈祥」といった祝福語もある。民俗図案では、兎は牡丹――富貴、白菜――「百財」との語呂合わせ、石榴――多子、などと組み合わされ、それぞれの吉祥要素と結びつくことで新たな図案と新たな意味を生み出してきた。
兎と「吐子」
兎の民俗文化におけるもっとも重要な吉祥寓意の一つが、多子多福である。「兎」と「吐」の音の連想から、民間には「兎が子を吐く」という表現が生まれ、子孫繁栄、生生不息を意味した。「兎」の音から「吐籽(種を吐く)」も連想され、民俗ではこれを多子多福、子孫綿延の象徴とした。切り紙では、兎と石榴、葡萄など種の多い植物を組み合わせ、多くの子に恵まれる願いを表すことが多い。伝統切り紙の「抓吉娃娃」図案では、一方の手に鶏、一方の手に兎を持つ、あるいは両手に鶏を持ち、両足で兎を踏む構図があり、日月相望、陰陽相合、生生不息という原初的な陰陽観を表している。兎の布人形、兎帽子、兎靴、そして多くの兎切り紙にも、子を願い吉を求める意味が込められている。晋北、陝北などには、「蛇が兎に巻けば、必ず富む(蛇盘兔,必定富)」という吉祥語も伝わる。
兎と「脱兎」
兎は民間において、敏捷さと知恵の象徴でもある。「狡兎三窟(狡兔三窟)」という成語は、兎の聡明さと機敏さ、自らを守る能力を表す。「兎は巣のそばの草を食べない」という俗語は、身内同士で争わず、大局を見る態度にたとえられる。『孫子兵法・九地』には「是故始如处女,敌人开户;后如脱兔,敌不及拒」とあり、軍の行動は兎のように素早くあるべきだと説いている。「兎も追い詰められれば人を噛む」という言葉もあり、生死がかかった状況では、兎も身を顧みず抗うことを示す。民間には「兎が鷹を蹴る」という奇談もあり、鷹に襲われ、逃げる暇がないと悟った兎が仰向けになり、強い後脚で鷹の腹を激しく蹴り上げると語られている。
民間芸術:
兎は中国民間芸術でもっとも頻繁に扱われる題材の一つである。年画から切り紙、泥塑から布芸まで、その姿は神聖でありながら、同時に愛らしくもある。
兎児爺
兎児爺は北京の彩色泥塑の一種で、北京地域に固有の文化的シンボルである。正確な起源は明らかではないが、史料には中秋に兎児爺を拝する記録が数多く残っていることから、その成立は遅くとも明代までにはさかのぼると考えられる。
兎児爺の造形
兎児爺は兎の頭に人の身体を持ち、玉杵を手にし、大将軍の装束をまとった威風堂々たる姿で表される。山石の上に座るものもあれば、猛虎の背にまたがるものもある。その造形には神話伝説と民間の知恵が融合し、神聖さと庶民的な親しみやすさが同居している。一般的な兎児爺は金槍を握り、紅い袍をまとい、背には旗を差し、芝居の舞台に立つ武将のようである。ひと目には勇ましく威厳に満ちるが、よく見れば、そこにいるのは温順で愛らしい兎なのである。
兎児爺の乗騎がもつ意味
兎児爺が乗る神獣にも、それぞれ意味がある。麒麟は「麒麟送子」、瑞虎は「邪を退ける」、象は「吉祥如意」を象徴する。一体一体異なる兎児爺の作品には、旧北京の人々の闊達で楽観的な暮らしぶり、洒脱なユーモア、そして前向きな人生哲学が凝縮されている。
兎児爺の文化的位置
兎児爺は旧北京の中秋民俗を代表するシンボルの一つである。2004年のオリンピック・マスコット選考時、著名な書家・啓功(启功)は「今投票するなら、私は兎児爺に一票入れる」と語った。2010年には、兎児爺が北京中秋イメージ大使に選ばれている。北京らしさをもっともよく表す吉祥物の一つと呼んでも過言ではない。
切り紙の中の兎
兎は民間切り紙でも重要な位置を占める。北京の民間工芸美術家・徐陽は、兎年のために100種類もの異なる兎切り紙図案をデザインした。苗族の切り紙作家も、兎の要素と苗族伝統の切り紙技法を融合させ、躍動感あふれる愛らしい兎年の賀歳作品を生み出している。伝統切り紙の「抓吉娃娃」では、一方の手に鶏、一方の手に兎を持つ、あるいは両手に鶏、両足で兎を踏む構図が見られ、日月相望、陰陽相合、生生不息という原初的陰陽哲学を表している。「蛇盤兎、代代富(蛇盘兔,代代富)」は新婚夫婦へのめでたい祝福である。兎の布人形、兎帽、兎靴、多くの兎切り紙は、いずれも子宝と吉祥を願う意味を持つ。切り紙の兎は牡丹、白菜、石榴などの吉祥要素ともよく組み合わされ、「吉兎送福」「玉兎呈祥」など豊かな意味を持つ図案となる。また「兎」の音から連想される「吐籽」は、多子多福、子孫綿延という吉祥寓意を切り紙芸術にもたらした。
布芸と刺繍の中の兎
民間の布芸や刺繍でも、兎はよく取り上げられる。山西陽泉市級無形文化遺産・布芸刺繍の伝承者である梁蘭花は、躍動感と趣に富む布兎シリーズを制作している。布芸刺繍とは、布、絹、緞子、帛などを主材料とし、民間生活やよりよい暮らしへの願いを主題とする手工芸である。湖北黄梅県一帯で長く伝わる民間刺繍の黄梅挑花にも、兎文様が用いられる。民間刺繍では、兎を祥雲や「福」の字などと組み合わせ、福に満ちた兎年の吉祥を表すことが多い。民俗では兎年を「吉慶の年」とみなすこともあり、刺繍された兎は元宝のような、丸みと厚みのある姿に表される。
年画と版画の中の兎
年画に描かれる兎は、月や中秋などの主題と結びつくことが多い。生肖の兎を主題とし、日時計、月相図、方孔円銭など中国伝統文化の要素と組み合わせた作品もある。四川綿竹年画博物館には、古典的な美しさを備えた四人の女性が描かれ、その背後には切り紙の特徴を取り入れた兎が配され、兎年の吉祥如意と新年の福を象徴している。
兎形玩具と陶磁器
すでに商代には黒玉の兎形佩があり、西周には兎形青銅尊が登場している。漢代になると、人々は兎の姿を絵画に取り入れるようになり、唐代には製陶・製磁業の発達に伴って、玩具としての小さな磁器の兎が作られた。今日に至るまで、刺繍、切り紙、泥塑、布芸、麺塑、紙細工など、民間工芸のあらゆる領域に兎の姿を見ることができる。
敦煌壁画の「三兎共耳」
「三兎共耳(三兔共耳)」は敦煌壁画に起源を持つ。三羽の兎の耳が互いにつながり、同じ方向へ走りながら追い合っているが、永遠に追いつくことはない。この敦煌を代表する文様は、シルクロード(丝绸之路)を通じて広く伝播した。「三兎共耳」は中国古代美術の中でもきわめて特色ある兎図像であり、兎文化がシルクロードを通じて広がったことを示す重要な証でもある。
禁忌と禳解:
兎は瑞祥の存在である一方、民間には兎にまつわるいくつかの禁忌も存在している。
出産に関する禁忌
漢民族には、妊娠中に兎肉を避けるという習俗があった。兎には上唇の裂け目があるため、妊婦が妊娠中に兎肉を食べることを禁じ、そうしなければ生まれる子どもが口唇裂、俗にいう「兎唇」になると考えたのである。民間では、兎肉を食べると子どもが兎のような口になると信じられていた。実際には、このような先天的形態には遺伝的要因などが関係しているが、この禁忌は民間に非常に広く流布していた。また、兎の絵を贈る育児習俗もあり、六人の子どもが机を囲み、その机の上に兎の吉祥図を手にした人物が立つ図像を贈り、子どもの将来の平穏と立身を願った。
本命年の禁忌
兎年生まれの人には、本命年、すなわち自分の生肖が巡る兎年にいくつか特別な習俗がある。赤い衣服を身につける――赤い服や装飾品を身につけ、家にも赤提灯や赤い絹帯などを置く。赤は伝統文化で吉祥と幸福を象徴し、災難や病を退けると考えられている。兎の装飾品を避ける――本命年には自分と同じ兎の生肖飾りを身につけないほうがよいとする説があり、本命年にすでに困難や障害が生じやすいと考えるため、同じ属相の吉祥物を重ねると状況を悪化させるという発想による。さらに、高危険度の活動を避ける――水上スキー、スキー、登山などを控える、墓参を避ける、重病人の見舞いを避ける、大規模投資を控える――特に高額あるいは不慣れな投資手段を避ける、といった習俗が語られる。
生肖の相冲
伝統的な生肖婚配文化では、兎年生まれと酉年生まれは「相冲」――「卯酉相冲」、龍年生まれとは「相害」――「卯辰相害」、鼠年生まれとは「相刑」――「卯子相刑」にあるとされる。民間には「兎が龍に会えば一生貧しい」「兎が鶏に会えば涙に暮れる」といった言い方があり、兎と龍、あるいは兎と鶏の婚姻を不吉とする考え方もあった。もちろん、これらは民間習俗の範疇に属するものであり、科学的根拠はない。
卯日の禁忌
一部の伝統民俗では、卯日(兎の日)にもいくつかの決まりがあった。たとえば卯日には土木工事を始めない、遠出をしない、といった禁忌である。こうした習俗は、現代社会の変化とともに次第に薄れてきている。
民間言語と俗語:
兎は中国の民間言語にも豊かな痕跡を残している。鼠に関する表現が圧倒的に否定的で、牛に関するものが主として肯定的なのに対し、兎の言語イメージは中立からやや肯定的なものが中心である。敏捷さや知恵を称える表現があり、走る姿や月を指す中立的用法もあり、時に否定的な意味も見られる。
成語の中の兎
肯定的表現――敏捷さや知恵を強調するものとして、「動如脱兎(动如脱兔)」があり、行動の素早さを表す。『孫子兵法・九地』の「始如处女,敌人开户;后如脱兔,敌不及拒」に由来する。「狡兎三窟(狡兔三窟)」は身を隠す場所を複数持ち、自分を守ることに長けていることの比喩であり、「兎起鶻落(兔起鹘落)」は動作が俊敏であることを表す。「白兎赤烏(白兔赤乌)」は月と太陽の運行、ひいては時の流れを意味する。
中立的表現としては、「守株待兎(守株待兔)」――自ら努力せず、偶然の収穫を待つこと、「兎死狐悲(兔死狐悲)」――同類の不幸を悲しむこと、「兎犬相争」――双方が争うこと、「兎走烏飛(兔走乌飞)」――日月の運行、歳月の流れ、「玉兎東昇(玉兔东升)」――月が昇ること、などがある。
否定的表現は比較的少ないが、「兎死狗烹(兔死狗烹)」――事が成った後に功績ある者を排除すること、「得兎忘蹄(得兔忘蹄)」――利益を得ると根本を忘れること、などがある。後者は『荘子・外物』に由来する。
諺の中の兎
民間には兎にまつわる諺が数多く伝わる。「兎は巣のそばの草を食べない」――近しい人々を害さないこと。「兎の尾は長くならない」――物事が長続きしないこと。「兎が人を見る――目が赤くなる」――嫉妬を表す。「大晦日に兎を捕る――いても正月、いなくても正月」――あってもなくても大勢に影響しないこと。「兎も追い詰められれば噛む」――弱者でも追い詰められれば反抗すること、をそれぞれ意味する。
歇後語の中の兎
兎を題材とした歇後語(歇后语)は、機知とユーモアに富んでいる。「八月十五日に兎を捕る――いても節日、いなくても節日」は、あってもなくても大局に影響しないこと。「起き上がりこぼしが兎に乗る――落ち着きがない」。「兎靴を履いた者――足が速い」。「兎の尾――長くはならない」。「兎児爺が胸を叩く――心も肝もない」。「兎児爺が山中を走り回る――結局は古巣に帰る」。「兎が月を抱こうとする――空想」。「兎が鷹をからかう――わざわざ災いを招く」。「山中の兎が巣へ帰らない――野放図に慣れた」。「兎児爺が耳をほじる――しくじる」。「兎児爺が宙返りする――角を傷める」、すなわち物事で挫折すること。「兎児が笛を吹く――口が堅くない」、などがある。
兎年生まれの人物に対する性格評
民間の生肖性格観では、兎年生まれの人には一定の評価がある。肯定的には、温和で善良、聡明で機敏、社交的で、心が細やか、芸術的感性を備えるとされる。否定的には、優柔不断、慎重すぎる、決断力に欠ける、と評されることがある。民間の口訣には、「卯兎性温良、聡明世無双。一生多福禄、平安又吉祥」とある。
兎と児童民俗:
子どもの世界において、兎はおとなしく愛らしい身近な仲間であると同時に、中秋伝説に登場する憧れの月宮仙兎でもある。
童謡の中の兎
『小白兎(小白兔)』――「小白兔,白又白,两只耳朵竖起来,爱吃萝卜和青菜,蹦蹦跳跳真可爱。」は、中国でもっともよく知られた兎の童謡で、ほとんどすべての中国の子どもが歌えるほど親しまれている。童謡の小白兎は活発で愛らしく、温順で素直な存在として描かれ、民間伝説の「玉兎搗薬」という神聖なイメージと好対照をなしている。
『小兎子乖乖(小兔子乖乖)』――「小兔子乖乖,把门开开,快点开开,我要进来。不开不开就不开,妈妈没回来,谁来也不开。」は、兎のイメージを通じて子どもに自己防衛意識を教える童謡であり、知らない人には扉を開けてはいけないという教訓を伝える。
『十二生肖歌』では、「老鼠排前头,跟着老黄牛;老虎一声吼,兔子浑身抖……」と歌われ、兎は第四位に登場する。子どもが十二支を学ぶ際、比較的早い段階で覚える動物の一つである。
遊びの中の兎
「兎跳び(兔子跳)」は、子どもが兎の跳躍をまねる民間遊戯である。両手を頭の上に置いて兎の長い耳を表し、両足をそろえて前へ跳び、速さや距離を競う。
「小兎がキノコを採る(小兔采蘑菇)」は、幼稚園などでよく行われる役割遊びである。子どもたちは小兎になり、「森」の中で「キノコ」を拾い、身体の協調性を鍛えるとともに、協力する力を養う。
「鷹が兎を捕まえる」は、「鷹がひよこを捕まえる」遊びの変形で、一人が鷹、一人が母兎、残りが子兎となり、母兎が子兎を鷹から守る。この遊びは、民間伝説の「兎蹬鷹」ともどこか響き合っている。
兎の玩具
兎児爺は中秋に供える神像であると同時に、子どもの玩具でもあった。祭祀が終わると、子どもたちは兎児爺像を日常の遊び道具として使った。
兎灯籠は、元宵節を代表するもっとも子どもらしい花灯の一つであり、月宮の玉兎と団欒のイメージを結びつける。細い竹ひごで兎形の骨組みを作り、色紙を貼り、丸い目と長い耳を描く。木製の車輪を付け、引いて歩けるものも、手に提げるものもあった。宋代以降、子どもの元宵節には欠かせない玩具となった。
布兎は、布を縫って作る小さな兎人形で、素朴で愛らしい姿を持ち、子どもが兎という動物に初めて親しむ媒介の一つとなった。
兎帽・兎靴は、虎頭帽や虎頭靴ほど一般的ではないものの、一部地域では子どもに兎帽をかぶせたり兎靴を履かせたりする風習があり、兎のように活発で可愛らしく、健康に育つことを願った。
兎と文学・芸術:
兎は中国文学芸術の中でもっとも頻繁に登場する題材の一つである。『詩経』から屈原の『天問』、『瑞応図』から歴代の詠兎詩に至るまで、文人と芸術家は兎に豊かな文化的意味を与えてきた。
『詩経』の兎
『詩経(诗经)』には兎に関わる詩篇が複数あり、中国の兎文学の源流をなしている。『詩経・周南・兎罝』の「肃肃兔罝,椓之丁丁。」は、野外に兎を捕る網を設置する情景を描いたもので、中国でもっとも古い兎詩の一つである。『詩経・王風・兎爰』の「有兔爰爰,雉离于罗。」は、のびのびと自由に動く兎の姿をもって、世事の艱難を際立たせている。
屈原『天問』の兎
戦国時代の楚の詩人・屈原は『天問(天问)』において、「夜光何德,死则又育?厥利维何,而顾菟在腹?」と問いかけた。「菟」は兎を指す。これは中国文献の中で、兎と月を結びつけたもっとも早い文字記録である。二千年以上前、屈原はすでに月面に「兎」の姿を見いだしていたのである。
歴代の詠兎詩
浩瀚な中国詩歌の世界には、兎を詠んだ句が数多く残されている。
唐代:盧照鄰(卢照邻)『江中望月』――「沉钧摇兔影,浮桂动丹芳。」;李紳(李绅)『奉酬楽天立秋夕有懐見寄』――「冰兔半升魄,铜壶微滴长。」;蔣防(蒋防)『白兎賦』――「皎如霜辉,温如玉粹。」
宋代:梅堯臣(梅尧臣)『詠兎』――「迷踪在尘土,衣褐恋蓬蒿。」;蘇軾(苏轼)――「兔走隼落,鹰击狐惊。」
明代:陶成『蟾宮月兎図』題画詩――詩と絵が響き合い、月宮の玉兎の仙姿を描き出している。
歴代の兎画
兎を題材とした絵画は、歴代を通して絶えることがない。明代・陶成『蟾宮月兎図(蟾宫月兔图)』は月宮の玉兎を描き、明代・朱瞻基『御臨黄筌花鳥巻(御临黄筌花鸟卷)』にも兎の姿が見られる。清代・禹之鼎『仕女三兎図軸(仕女三兔图轴)』では、仕女と三羽の兎が寄り添い、吉祥を象徴する。今日に至るまで、刺繍、切り紙、泥塑、布芸、麺塑、紙細工など、さまざまな民間工芸に兎の姿が現れ続けている。
古典文献に見える兎
『瑞応図(瑞应图)』には「赤兔大瑞,白兔中瑞」とある。『孫子算経(孙子算经)』には「雉兎同籠(雉兔同笼)」という中国古代数学の古典的問題があり、兎が古代生活の中に深く浸透していたことを示している。また漢代には「兎園(兔园)」があり、梁孝王が築いた著名な園林として知られる。これは兎が古代の貴族文化の中にも一定の位置を占めていたことを物語っている。
結びの考察:
卯兎の民俗文化は、中国生肖民俗の中でも、とりわけ玉のように温潤で、吉祥と美しさに満ちた一章である。人々の兎に対する態度には、親しみと崇敬が常に共存してきた――温順で機敏な愛らしさを慈しむ一方で、月宮に住む仙兎としての神聖な光を敬ってきたのである。兎は瑞祥の兆し、長寿の象徴、多子のトーテムとみなされるだけでなく、月との深い結びつきによって、中秋民俗に欠かすことのできない核心的存在ともなった。正月に「兎頭を掛け」て災いを祓う習俗から、中秋に「兎児爺」を供える風習まで、兎の姿は伝統的な歳時節令のいくつもの重要な節目を貫いている。
「玉兎搗薬(玉兔捣药)」の神話から「兎児爺」の民間泥塑へ、「小白兎、白又白」の童謡から敦煌壁画の「三兎共耳」へ、「玉兎呈祥」の新春祝福から「前兔無量」という音の文化へ――兎の民俗は、歳時節令、民間信仰、吉祥寓意、民間芸術、禁忌と禳解、児童民俗、文学芸術など、民俗文化のほとんどあらゆる領域に広がっている。兎は人々が祭り、供える神聖な存在であると同時に、子どもが腕に抱く布人形の仲間でもある。この「神のように敬い、伴侶のように愛する」親密さこそ、卯兎民俗文化のもっとも魅力的なところである。
この親密さの根底には、中国文化において兎が一度も「害獣」という強い負の烙印を押されることなく歩んできたという事実がある。鼠が「街に出れば皆が打つ」と嫌われるのとは異なり、兎は一貫して、温順、祥瑞、仙霊という姿で中国人の精神世界に存在してきた。『瑞応図』の「白兎中瑞」という瑞祥の記号から、『天問』の「顧菟在腹」という月宮の仙影に至るまで、兎の文化的イメージは常にある種の清らかさと美しさを保っている。卯兎は十二生肖の第四位にすぎないが、そこには中国文化が温順、祥和、敏捷、多福に寄せてきた深い憧れが託されている。月宮から降りてきた兎は、桂花の清らかな香りと玉杵の余韻を携え、中国人の精神の空に、もっともやわらかな一条の月光を降り注いでいる。
読者からの声
世界中の暦と伝統文化を愛する人々が、同じ月を見上げる。
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