馬民俗
「 天驷行空,万马奔腾。 」
歳時節令:
馬王節(六月二十三日)
旧暦六月二十三日は「馬王節(马王节)」であり、「馬神誕(马神诞)」とも呼ばれる。民間で馬王爺を祭る最も重要な日である。
節日の由来
六月二十三日は馬王爺の誕生日だと伝えられている。この日、馬を飼う家、車夫、馬商、官府、軍営などでは皆、祭壇を設けて馬王爺を祭り、騾馬が健壮に育ち、順調に繁殖し、商売も順調に進むよう祈った。
祭祀儀礼
馬王爺の祭祀には、一連の整った儀礼があった。
神碼を請う:騾馬を飼う家ではまず、「馬王爺」の神碼、すなわち木版の神像を一枚求めた。こうした神像は一般に南紙店で販売されていた。
供案を設ける:馬王の紙像を卓上に安置し、その前に銭糧、すなわち元宝や黄千張、蝋燭、香炉、果物、鶏、魚、羊頭などの供物を並べた。その中でも、清水一小碗と草料一小斗は欠かせず、家の騾馬を丹念に養う誠意を示した。
全羊を供える:正式な供物は羊一頭丸ごとであった。馬王爺の原型とされる金日磾は西域出身であり、明清以来、庶民は西域人をみな回族とみなしていたため、馬神も回族の神と考えられ、豚ではなく羊が供えられた。紙像には「水草馬明王神位」と記されていた。
北京では、馬王爺への供物は一般に羊一頭で、神像は通常馬小屋に祀られ、ときには駅站にも置かれた。車夫たちは馬王爺祭祀の名目を借りて、通行人に金を求めることもあった。
各地の違い
陝北では、ほとんどすべての村の寺廟に馬王爺が祀られており、その姿は四本の腕、三つの目をもち、顔は赤く、凶猛な表情をしていた。人々の心の中で馬王爺は六畜を分掌する神であり、彼を祭ることは、六畜の繁栄と五穀豊穣を願うことを意味していた。
四季祭馬
中国には古くから馬神を祭る習俗があり、その伝統は周代にまで遡ることができる。『周礼』には、四季祭馬の定制が記されている。
春祭馬祖(马祖)(天驷星):馬群の繁栄を祈る。春は万物が生じ始める時であり、馬祖を祭るのにふさわしい。
夏祭先牧(先牧)(牧畜を司る神):馬群の順調な繁殖を祈る。夏に先牧を祭ることは、実際には一年を通して車馬の飼育に尽力した者への慰労と褒賞でもあった。
秋祭馬社(马社)(土地神):馴馬の技術に感謝する。馬社とは馬小屋であり、その中の土地神を指す。秋は馬が休養し繁殖するのに最も適した季節と考えられた。
冬祭馬歩(马步)(災神):馬の災いと病を除く。馬歩とは馬の脚や蹄という重要な部位を指し、冬は馬を調教するのに最も適した季節と考えられた。
隋唐では四季に馬神を祭り、宋代には馬祖などの馬神祭典が小祀に分類された。明代になると、馬の飼育は官営牧場から「編民養馬」へと移り、戸ごとに馬を飼育させ、そうした家を「馬戸(马户)」と呼んだため、民間での馬神崇拝が大いに盛んになり、馬神廟が各地に広がった。清代には、旧暦六月二十三日が馬神の祭日として定められた。
馬日と正月初六
中国の伝統民俗では、旧暦正月初一から初六までがそれぞれ鶏、犬、羊、猪、牛、馬の日とされる。女媧が六日間で六畜を造り、七日目になって初めて人を造ったという伝説に基づく。『占書』には、「正月一日为鸡,二日为狗,三日为羊,四日为猪,五日为牛,六日为马,七日为人。」と記されている。
正月初六は「馬日(马日)」である。この日は馬への敬意を示すため、馬を殺すことを禁じ、また馬を使役することも禁じた。馬日の天候は、その年の馬の運勢を占う材料にもなり、初六が晴天なら、その年は馬が健壮で病や災いがないとされ、雨や曇りなら、馬が病気になったり災難に遭ったりする可能性があると考えられた。
立春と迎春馬
立春は二十四節気の最初にあたる。立春の「鞭春牛」の儀式では、ときに「迎春馬」の活動も併せて行われた。一部地域では立春の前後に「送春馬(送春马)」の習俗があり、紙や布で馬の形を作り、一軒一軒に届け、「馬到成功、春回大地」の意味を込めた。
陝北の農諺には、「羊马年,广种田。」とある。農民の経験では、羊年と馬年は風雨が順調で、何を植えてもよく実る豊作の年であることが多いとされた。民間にはさらに、「羊、马年,好种田」という言い方もある。
午日と馬日
伝統民俗では、午日、すなわち馬の日には特別な意味がある。午日になると、一部地域では馬に関する祭祀や祈福が行われる。「午」と「馬」が結びついているため、午日は馬の「本命日」とみなされる。『詩経・小雅・吉日』には、「吉日庚午,既差我马」とあり、庚午が吉日で、ちょうど駿馬を選んで狩猟の準備をしたことを示している。先秦古籍『穆天子伝(穆天子传)』にも、「吉日戊午」という記載がある。
民間信仰:
馬は中国の民間信仰において高い神格をもつ。すなわち、天驷星という天上の馬神であり、馬王爺という民間の馬神であり、さらに六畜の首を守護する神でもある。
馬神信仰の起源
天驷星:古人は天上に馬を象徴する星宿、すなわち「天驷星」があると考えた。「天驷」は房星で、二十八宿の一つである。「房为龙马,马之生者」。春に祭る馬祖とは、まさに天驷星である。
先牧:「先牧」は、最初に野生馬を馴化し、人に馬を牧する方法を教えた神である。夏に先牧を祭り、馬群の順調な繁殖を祈った。
馬社:「馬社」は馬小屋の土地神である。秋に馬社を祭り、土地の養いと、先人が生み出した馬の利用技術に感謝した。
馬歩:「馬歩」は馬の病を司る災神である。冬に馬歩を祭るのは、馬の災いを除き、病を祓うためであった。
馬王爺――水草馬明王
馬王爺の呼称
馬神は民間で、「馬王(马王)」、「馬王爺(马王爷)」、「馬明王(马明王)」、「水草馬明王(水草马明王)」などと呼ばれる。馬が交通、軍事、農業において重要な役割を果たしていたため、中国民間では早くから馬神崇拝が生まれた。
馬王爺の姿
馬王爺の姿はきわめて独特である。三つの目、四本の手をもち、刀、兵器、剣、戟などを手にし、威厳と剛猛さを備えた顔つきをしている。俗語の「馬王爺には三つの目がある」は、ここに由来する。陝北では四本の腕と三つの目、赤い顔と凶猛な表情で描かれる。各地の造形はおおむね似ており、神像には「馬王」あるいは「水草馬明王」と記される。地域によっては、馬王と牛王が並んで座り、その下に馬が描かれた神像もある。
道教では馬王爺を霊官馬元帥(灵官马元帅)と呼ぶ。赤い顔に縮れた髭、四本の腕と三つの目をもち、鎧をまとい、刀と戟を手にした凶猛な姿で表される。
馬王爺の原型
民間伝承では、馬王爺の原型は漢武帝の時代に御馬監を掌管した金日磾だとされる。金日磾はもともと匈奴の太子で、馬の飼育にきわめて長け、漢代の馬業の繁栄に大きく貢献したため、死後、民間で馬王として祀られるようになった。また別説では、馬王は西漢の養馬名手・金日䃅だともされる。
馬王爺の職能
馬王爺は、馬に関するあらゆる事柄を司る神霊と考えられている。人々の心の中では六畜を分掌する働きもあり、馬王爺を祭ることは、六畜の繁栄と五穀豊穣を願うことを意味した。その主な役割は、騾馬などの草食動物の平安を守ることである。
馬王廟の分布
歴史的に、中国北方には馬王を祀る馬神廟が多く建てられ、都市や皇宮にも馬神廟があった。明清期になると馬神廟は各地に広がった。陝南の山間部では馬王祭がとりわけ一般的で、州・府・県志の祠祀志にも馬王廟が数多く記録されている。北京では馬王爺の神像は一般に馬小屋に祀られ、ときには駅站にも置かれた。
「馬王爺には三つの目がある」という俗語
「不给你点厉害,都不知道马王爷有几只眼」――この俗語は民間に広く伝わり、人々の馬王爺に対する畏敬と依存を反映している。民間俗語「馬王爺三只眼」もここから生まれた。
避馬瘟
民間には、馬小屋で猿を飼い、「避馬瘟」する習俗があった。古人は猿の活発さには邪を祓い、馬の健康を促す力があると考え、『斉民要術(齐民要术)』にも関連する記載がある。
この習俗では、猿が馬群の病気を防ぎ、騾馬が疫病にかからないよう守ると考えられていた。昔、中国西南高原の行商人が馬帮を率いて長距離交易を行う際にも、猿を一匹連れていくことがよくあったという。猿は騾馬の病気に敏感で、病馬を早期に見つけ、疫病の拡大を防ぐ助けになるとされた。『西遊記』で玉皇大帝が孫悟空を「弼馬温」に任じたのも、まさに「避馬瘟」との諧音に基づく。
少数民族の馬崇拝
馬崇拝は、とりわけ北方の遊牧民族に顕著である。
蒙古族:蒙古の牧民はしばしば馬に神聖性を与え、神霊や守護神として捉えてきた。馬崇拝は蒙古族伝統文化の一部となっている。馬は蒙古人の誇りであり、その神威によって、彼らは広大な草原を駆けめぐった。
アルタイ語系諸民族:アルタイ語系の諸民族はきわめて長い養馬の歴史をもち、濃厚な馬崇拝意識を形成してきた。馬をトーテムとして崇拝する場合もあれば、吉祥物として、あるいは神霊として崇拝する場合もある。
達斡爾族:達斡爾族は馬神を祀る。その馬神は蒙古族に由来し、「吉雅其」と呼ばれる。馬の習性に精通し、勤勉で情熱的な老人として語られる。
吉祥寓意:
馬は民間の吉祥文化において中心的な位置を占める。「馬(马)」は「馬上(马上)」と結びつき、「すぐに」「順調に」という美しい期待を含む。馬は能力、人才、吉祥の象徴である。
馬年の吉祥語
馬年になると、吉祥語はとりわけ豊かで豪快になる。「馬到成功(马到成功)」――順調かつ速やかな達成を願う。「一馬当先(一马当先)」――先頭に立ち、率先する。「龍馬精神(龙马精神)」――昂揚し上向きの生命力を表す。「万馬奔騰(万马奔腾)」――圧倒的な勢いを形容する。ほかにも「馬年大吉」、「馬年如意」、「馬年納福」、「一馬平川(一马平川)」――事業が順調に進むことを願う、「馬不停蹄(马不停蹄)」――努力を絶えず続けることを願う、などがある。
馬の吉祥象徴
馬は中国文化において、剛健、上昇、忠誠、速度を象徴する。『易経』には、「乾为马」とあり、馬を天道の剛健さと結びつけ、自強不息の意味を与えている。
千里馬――傑出した人才の比喩。汗馬功労(汗马功劳)――戦功や貢献の比喩。老馬識途(老马识途)――経験と知恵の象徴。天馬行空(天马行空)――才華にあふれ、気勢が自由奔放であることの象徴。
馬と「馬上」の諧音吉祥
「馬」と「馬上」との結びつきから、民間吉祥文化には大量の「馬上+吉祥物」の図案や祝福が生まれた。馬上有銭(马上有钱)――馬の背に元宝を掛ける。馬上有喜(马上有喜)――馬の背に嫁を乗せる。馬上有福(马上有福)――馬の背に葫蘆を掛ける。馬上封侯(马上封侯)――赤い馬が猿を背負い、ただちに爵位を授かることを意味する。馬上発財(马上发财)――馬の背に元宝を載せる。
馬年の吉兆
民間では、馬年は風調雨順の良い年だと考えられている。農諺には、「羊马年,广种田。」、「羊、马年,好种田。」とある。古人は、地支の午と馬の組み合わせはおおむね吉祥を示すと考えた。
「馬」と「碼」の現代的吉祥
現代では、馬と「碼上」との語呂合わせから、「扫码支付」「马上到账」など、新時代の吉祥的連想も与えられている。
民間芸術:
馬は民間芸術で最もよく扱われる題材の一つである。年画から切り紙、彫刻から刺繍に至るまで、馬の形象は雄壮でありながら、しなやかな躍動感にも富んでいる。
年画の中の馬
馬上封侯:年画の「馬上封侯」は、馬を題材とした年画の中でも最も典型的な図案の一つである。赤い馬が猿を背負い、世俗的な吉祥を願う。「猴」と「侯」が諧音であるため、「馬上封侯」はすぐに爵位を授かることを意味し、民間で最も人気の高い吉祥年画の一つとなった。
木版年画の馬:非物質文化遺産の年貨大集では、木版年画における馬の要素が非常に豊富である。鳳翔木版年画や朱仙鎮木版年画にも馬を題材とした作品がある。八匹の馬を描いた切り紙には、「四面八方へ駆け、より良い暮らしへ向かう」という意味が込められている。
切り紙の中の馬
切り紙に表される馬の姿は多様で、奔騰する駿馬、静かに伏す馬、そして「馬踏飛燕(马踏飞燕)」のような躍動感ある造形もある。
満族イルゲンギョロ切り紙:遼寧省級非物質文化遺産で、伝承者・趙玲玲は八匹の馬の切り紙作品を制作し、四面八方へ奔騰し、より良い生活へ向かう意味を込めた。
馬踏飛燕切り紙:甘粛で出土した国宝級の「馬踏飛燕」をもとに、敦煌の雲文と組み合わせ、新たな馬踏飛燕の切り紙作品が制作された。
布堆画の馬:切り紙の馬が紙の上を流れる詩句だとすれば、布堆画の馬は立ち上がった土地の叙事詩である。この技法は陝北の女性たちの日常的な繕い仕事から生まれ、今日では現代的な訴求力を備えた視覚芸術へと発展している。
彫刻と陶芸の中の馬
鳳翔泥塑馬:陝西鳳翔の泥塑馬は、素朴で雄渾な造形をもち、国家級非物質文化遺産に登録されている。色彩は鮮やかで、造形は誇張され、濃厚な西北民間の特色を備える。
漢州陶芸馬:漢州陶芸の馬は素朴で雄渾な姿をもち、まるで土が三次元空間で涅槃再生したかのようである。
絞胎磁馬:河南当陽峪の絞胎磁器技法による馬は、自然な文様と優雅な造形を特徴とする。
樺樹皮馬:樺の樹皮で作られる馬は、北方民族独自の民間工芸である。
道明竹編馬:四川道明の竹編技法では、竹を編むことによって馬の躍動感を表現する。
泥塑馬:非物質文化遺産の展示では、泥塑や陶芸など多様な素材で作られた馬形作品が並び、子どもたちも自らの手で伝統を再現する。一つ一つの作品が、文化伝承の小さな媒体となっている。
刺繍の中の馬
馬尾繍(马尾绣):貴州水族の馬尾繍は、本物の馬の尾毛を用いる独特な刺繍技法である。伝承者・石小嬌によれば、比較的大きな装飾画を作る場合、少なくとも二十本以上の馬尾毛を撚り合わせてから刺繍する必要があり、馬の筋肉のたくましさまで糸によって表現できるという。
布芸馬:民間布芸における馬の造形も多様である。布堆画馬は陝北女性の日常的な繕い仕事から生まれ、伝承者による再創造を経て、現代的な感染力の強い視覚芸術となっている。
鍥金画の中の馬
甘粛省工芸美術大師・張兆武が制作する鍥金画には、約三千年の歴史がある。彼の馬年作品は、甘粛の馬踏飛燕をもとに敦煌の雲文を組み合わせ、新しい馬踏飛燕を生み出した。
禁忌と禳解:
馬は吉祥の存在である一方、戦争や力と密接に関わるため、民間には馬そのものや馬年生まれの人に関する多くの禁忌も存在する。
本命年の禁忌
本命年は一般に不吉な年とみなされる。民間には、「本命年犯太岁,太岁当头坐,无喜必有祸」という言い方がある。
馬年生まれの本命年には、次のような特別な心得がある。
全身を真紅にしない:一般に本命年には赤い下着や赤い帯などを身につけ、邪を祓い吉を招く。しかし馬年、すなわち午年は火気が旺盛すぎるため、そこへ大量の赤を加えることは「火にさらに火を加える」ことになり、かえって均衡を崩すとされる。民俗では本命年に「加火」ではなく「調和」を重んじ、小さな赤い紐程度にとどめ、全身を赤くするのは避けるべきだとされる。
馬形の装身具を身につけない:午は大火を表し、午と午を重ねると火勢が強大になりすぎて制御できず、情緒不安や衝動的行動を象徴するとされる。
相冲生肖の装身具を避ける:鼠と牛は対立する生肖とされ、絶対に身につけない方がよいとされる。
安定の中に進歩を求める:馬は奔騰を象徴するが、民俗では馬年には「穏中求進」が必要とされ、衝動的な投資、突然の転職、孤注一擲の決断を避ける。
結婚を避ける:馬年生まれの人は本命年に「午午自刑」となり、大きな衝突とみなされるため、結婚には不向きだとされる。
生肖相冲
伝統的な生肖婚配文化では、馬年生まれは鼠年生まれと「相冲」、すなわち「子午冲」、牛年生まれと「相害」、すなわち「午丑害」、そして馬自身とは「相刑」、すなわち「午午自刑」になるとされる。
民間には、「马见鼠,泪如雨」、「马牛不到头」などの言い方がある。一方、馬年生まれは虎・犬と「三合」、羊と「六合」をなすため、流年では比較的有利と考えられている。
馬年の禁忌
赤馬年は火気が旺盛:2026年は丙午年で、火気が旺盛すぎるため、「赤馬年(赤马年)」と呼ばれる。民俗では、この年に赤色を過度に使うことは、「火に油を注ぐ」ことになるため避けるべきだとされる。
馬肉を忌む:伝統的農業社会では、馬肉を食べることは厳しく制限されていた。馬は戦争と輸送の中心的な道具であり、馬を殺して食べることは、自らの戦力を損なうことに等しかった。この禁忌は北方遊牧民族では比較的緩やかだったが、農耕地域ではきわめて厳しかった。
民間の禳解
本命年の不祥を和らげるため、馬年生まれの人は、三合生肖の装身具を身につける――馬と相合する生肖は虎、犬、羊とされる、小さな赤い紐を身につける――全身の真紅は避けるが、小さな赤い紐は用いてよい、心を平穏に保つ――本命年は動より静を重んじる、健康に注意する――馬年は火が旺盛なため、心脳血管の健康に注意する、といったことが勧められる。
民間言語と俗語:
馬は中国の民間言語にきわめて豊かな痕跡を残している。鼠がほぼ一方的に貶されるのとは異なり、馬に関する言語表現は全体として称賛が中心であり、中国人の馬への愛情と崇敬をよく示している。
成語の中の馬
褒揚類が最も多い。馬到成功――物事が順調に速やかに達成されること。一馬当先――先頭に立ち、率先すること。万馬奔騰――壮大な勢いを表す。龍馬精神――前向きで活力に満ちた状態を象徴する。馬不停蹄――絶えず努力し続けること。老馬識途――経験豊富であることの比喩。汗馬功労――戦功と貢献の比喩。天馬行空――才華にあふれること。金戈鉄馬――戦争の場面を表す。車水馬龍――繁華でにぎやかな様子。馬首是瞻――他人の指揮に従うこと。伯楽相馬――人才を見抜くこと。馬革裹尸――勇敢な犠牲を表す。一馬平川――地勢が平坦であることから転じて、前途が順調であること。
中性類には、馬馬虎虎――物事をいい加減に行う、馬失前蹄――一時的な失敗、馬放南山――天下太平の比喩、風馬牛不相及――まったく関係がない、などがある。
貶斥類は比較的少なく、馬屁精――おべっかを使う人、馬前卒――他人のために働く人、などがある。
諺の中の馬
民間には馬に関する諺が数多く伝わる。「一言既出,驷马难追」――一度口にした言葉は取り戻しにくい。「路遥知马力,日久见人心」――時間がすべてを試す。「老马识途,人老识理」――経験は貴重な財産である。「人靠衣装,马靠鞍装」――外見も大切である。「好马不吃回头草」――志ある者は後戻りしない。「马行千里,人展宏图」――志が高く、前途が広い。「人善被人欺,马善被人骑」――弱い者は欺かれやすい。「牛头不对马嘴」――問いと答えがかみ合わない。
歇後語の中の馬
馬に関する歇後語(歇后语)は、機知とユーモアに富んでいる。
褒揚・中性類:「老马识路——轻车熟道」――経験豊富であること。「千里马拉犁——大材小用」。「马背上挂元宝——马上有钱」。「马背上背媳妇——马上有喜」。「马背上挂葫芦——马上有福」。「马背上打电话——电话远达」。
貶斥類:「骑马不带鞭——全靠拍马屁」。「马棚里抬腿——出题(蹄)了」。
馬年生まれの性格評
民間の生肖性格文化では、馬年生まれには特定の評価がある。肯定的な評価としては、情熱的で奔放、自由で洒脱、積極的で向上心があり、社交的で指導力がある、とされる。否定的な評価としては、せっかちで衝動的、忍耐力が足りず、熱しやすく冷めやすいとされる。民間の口诀には、「午马性刚强,奔驰万里疆。一生多豪迈,富贵自名扬。」とある。
馬と児童民俗:
子どもの世界では、馬は自由、勇敢、力の象徴であり、遊びや玩具の中でも最も人気のある形象の一つである。
童謡の中の馬
『馬馬嘟嘟騎(马马嘟嘟骑)』:『馬馬嘟嘟騎』は湖南童謡である。内容は、子どもが玩具の馬に乗って外婆の家へ行き、外婆が鶏や鵞鳥を屠ってもてなしてくれないので帰ると駄々をこね、外公もいたずら好きの子どもに手を焼くという童趣あふれる場面を描く。童謡には、「马马嘟嘟骑,骑到那嘎嘎去。嘎嘎不杀鸡呀,娃娃我要回去……」とある。
『説馬(说马)』:「小朋友,来说马,猜猜会说什么马?西行路上白龙马,飞跃檀溪的卢马,大唐盛世三彩马,澳大利亚迷你马。赤兔乌骓绝影马,河曲伊犁蒙古马……」。この童謡は歴史や伝説に登場する名馬を次々につなぎ、子どもが馬文化を知るための生き生きとした入門となっている。
『我騎白馬闖天下(我骑白马闯天下)』:「骑上大白马,驾驾驾驾驾!风在耳边飞,马蹄哒哒哒!冲出大草原,跑遍全天下!」。童趣に満ちたこの歌は、子どもたちの自由と冒険への憧れをかき立てる。
『十二生肖歌』の馬:「老鼠排前头,跟着老黄牛;老虎一声吼,兔子浑身抖;龙在天上游,蛇在地上扭;马儿跑得快,羊儿慢悠悠……」。馬は十二生肖歌の第七位にあり、子どもの生肖入門で早くから親しまれる動物の一つである。
遊びの中の馬
「騎竹馬(骑竹马)」:竹馬(竹马)は、民間の児童玩具であり遊びでもある。細い竹の枝一本と草縄一本があれば「馬駆け」を楽しむことができる。子どもは竹竿を両脚の間にはさんで馬に見立て、走りながら「駕駕駕」と声を上げ、乗馬の動きを真似する。自然素材を用いた民間体育遊戯である。
「騎馬馬(骑马马)」:親子遊びの一つで、子どもが大人の首を両脚ではさみ、肩の上にまたがって、馬に乗るような姿になる。子どもたちが最も好きな「座席」は車の椅子ではなく、父親の温かく力強い両肩である。
「騎竹馬」の文学記録:騎竹馬は中国古代で最も有名な児童遊戯の一つである。唐代詩人・李白は『長干行』で、「郎骑竹马来,绕床弄青梅。」と詠んだ。成語「青梅竹馬」はここに由来し、男女が幼い頃から親しくしていることを表す。
「馬児跑(马儿跑)」遊び:幼稚園では「馬児跑」は一般的な音楽遊戯である。保護者は音楽のリズムに合わせ、馬に乗って走る場面を演じるよう子どもを導くことができる。
馬玩具
布馬:布で縫った小さな馬の人形で、愛らしい姿をもち、子どもが馬を知る最初の媒体の一つである。
竹馬:前述のように、竹竿で作る簡単な馬玩具で、最も一般的な伝統児童玩具の一つである。
泥塑馬:廟会でよく見られる泥人形で、鮮やかな色彩と生き生きした姿を特徴とする。
折紙馬:幼稚園でよく行われる折紙工作で、子どもの手先の能力を養う。
青花磁馬:伝統文化節では、子どもたちが青花磁馬などの手工芸品を制作する。
生肖泥塑:馬を題材とした生肖泥塑は、子どもが生肖文化を知る重要な媒体である。
馬と文学芸術:
馬は中国文学芸術においてきわめて重要な題材の一つである。『詩経』から唐詩・宋詞、石鼓文から昭陵六駿に至るまで、馬は文人や芸術家の筆のもとで高い文化的意味を与えられてきた。
『詩経』の中の馬
『詩経』には馬を詠んだ詩篇が数多くある。三千年以上前の『詩経・小雅・吉日』には、すでに「吉日庚午,既差我马」とある。
『詩経・魯頌・駉』は、魯僖公の時代、魯国郊外の国営牧場で飼われた駿馬が肥え太り、良種が集まる様子を、「駉駉牡马,在坰之野」、「有骊有黄」、「有騂有騏」と詠んでいる。馬がこのように健壮に育ったのは、すべて馬を飼う者が品行正しく、忠実に職務を尽くしたからだとされ、「思无邪,思马斯徂」と歌われる。孔子は、この馬を詠んだ詩の三文字「思無邪」を取り、『詩経』全体の核心を、「《诗》三百,一言以蔽之:‘思无邪’」と総括した。
石鼓文の中の馬
中国に現存する最古の石刻文字である石鼓文の第一鼓には、「吾车既工,吾马既同。吾车既好,吾马既阜」とあり、戦車の堅牢さ、戦馬の歩調の一致、そして肥えた健壮な姿を称えている。
歴代の詠馬詩
広大な中国詩歌の世界には、馬を詠んだ詩句が数え切れないほどある。
唐代:李白『白馬篇』、「白马饰金羁,连翩西北驰。」。杜甫『房兵曹胡馬』、「胡马大宛名,锋棱瘦骨成。竹批双耳峻,风入四蹄轻。」。李賀『馬詩』、「大漠沙如雪,燕山月似钩。何当金络脑,快走踏清秋。」。李賀は計二十三首の『馬詩』を書き、唐代の詠馬詩を代表する作品となった。韓愈『馬説』、「世有伯乐,然后有千里马。千里马常有,而伯乐不常有。」――中国文学史上、最も有名な馬論の名篇の一つである。
宋代:蘇軾、「马行千里,人展宏图。」
昭陵六駿
「昭陵六駿(昭陵六骏)」は、唐太宗李世民が天下征戦をともにした六頭の戦馬を記念して彫らせた石刻である。六駿はそれぞれ、拳毛騧、什伐赤、白蹄乌、特勒骠、青骓、飒露紫である。これら六頭の戦馬は、李世民が唐朝を建てるための戦いでたびたび大きな功績を立てた。飒露紫は戦場で矢を受け、大将丘行恭が矢を抜いて治療した。拳毛騧は九本の矢を受けながらも、なお突撃をやめなかった。
昭陵六駿は工芸家閻立徳と画家閻立本が設計・彫刻し、唐太宗自ら四言の賛を記した。この石刻群は唐代石刻芸術の頂点であり、現在では国宝級文物とされている。
歴代の名馬
中国の歴史と文学作品には、無数の名馬が登場する。周穆王八駿――日に万里を行く神馬。呂布の赤兎馬――「人中吕布,马中赤兔」。劉備の的盧馬――「的卢,的卢,今日妨吾」。項羽の烏騅馬――覇王別姫の悲壮な乗馬。秦瓊の黄驃馬――隋唐英雄の宝馬。唐太宗の昭陵六駿――天下征戦に功を立てた戦馬である。
文物の中の駿馬
商周の玉馬、青銅駒尊から、秦漢の銅車馬、彩絵木轺車、さらに唐代に名高い昭陵六駿や三彩陶馬に至るまで、馬の形象は中国古代文物史を貫いている。これらの文物は各時代の卓越した工芸技術と美意識の変遷を示すだけでなく、馬が力、忠誠、精神的トーテムの象徴として担ってきた深い文化的意味をも伝えている。
中国国家博物館所蔵の「盠青銅駒尊(盠青铜驹尊)」は、周穆王が「執駒」礼を行った際、盠という周王室の公侯が二頭の小さな仔馬を賜ったのちに鋳造した青銅器である。仔馬はまだ幼さを残し、その澄んだ両眼で好奇心いっぱいに世界を見つめている。
結びの考察:
午馬(午马)の民俗文化は、中国の生肖民俗の中でも最も豪放で奔放、そして力に満ちた一章である。人々の馬に対する感情には敬意と親近感が共存している――その忠誠と勇猛の品格を敬いながら、日に千里を行く能力にも頼ってきた。馬は天驷星から降りてきた神霊であり、三つの目をもつ馬王爺という民間信仰の対象であるだけでなく、戦争と交通を支える柱であり、農耕と商業の伴侶でもある。六月二十三日の「馬王節」から正月初六の「馬日」まで、四季祭馬から馬年の吉兆まで、馬の姿は伝統的な歳時節令の多くの重要な節目を貫いている。
「天驷星」の星宿崇拝から「馬王爺」の民間祭祀へ、「馬上封侯」の吉祥図案から「龍馬精神」の励志語へ、鳳翔泥塑馬の雄渾さから水族馬尾繍の精巧さへ――馬の民俗は歳時節令、民間信仰、吉祥寓意、民間芸術、禁忌と禳解、児童民俗、文学芸術など、ほとんどあらゆる民俗領域を覆っている。馬は人々が祭り、供物を捧げる神霊であると同時に、文学と芸術の中を永遠に駆け続ける意象でもある。この「神のように敬い、友のように愛する」深い感情こそ、午馬民俗文化の最も魅力的なところである。
この深い感情の根源には、中華文化における馬の唯一無二の二重の身分がある。公式文化において、馬は「乾为马」に表される天道の象徴であり、昭陵六駿に体現された功勲の記念碑でもある。民間文化においては、「馬到成功」という吉祥の願いであり、「路遥知马力」という人生哲理でもある。『詩経』の「駉駉牡马」の雄壮さから、韓愈の「千里马常有,而伯乐不常有」という千古の慨嘆へ、李白の「白马饰金羁」の豪邁さから、李賀の「快走踏清秋」の洒脱さへ――馬の文化的形象は一貫して、中国人の自由、力、成功への憧れを担ってきた。午馬は十二生肖では第七位にすぎないが、そこには中華民族が速度、力、忠誠、成功に寄せてきた最も深い憧れが託されている。遠古の草原から奔騰してきて、戦車を背負い、文明を載せ、中華大地の上に最も豪邁な一筋の蹄跡を刻み残してきたのである。
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世界中の暦と伝統文化を愛する人々が、同じ月を見上げる。
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