立秋 風習
「立秋立秋,把扇儿丢」
立秋は二十四節気の第十三番目にあたり、秋最初の節気でもある。『月令七十二候集解』には、“秋,揪也,物于此而揪敛也。” とある。「立」は始まりを意味し、「秋」は穀物が成熟することを意味する。この頃、太陽は黄経 135度 に達し、万物は盛んな成長から成熟と結実へと向かう。春と夏の耕作が、いままさに枝先の果実へと姿を変え始めるのである。
小暑・大暑の節俗が「干すこと」と「送り出すこと」を中心に展開したとすれば、立秋の節俗は 「補うこと」と「祝うこと」 を中心に展開する。補うとは、豊かな食によって「苦夏」で消耗した身体を満たすこと。祝うとは、盛大な儀礼によって収穫の到来を迎えることである。
立秋の節俗は、「称・貼・啃・晒・会・社・戴・登」 の八つにまとめることができる。「称」 は吊り秤で人の体重を量り、立夏の頃と比べて「苦夏」の影響を確かめること。「貼」 は貼秋膘で、煮込み肉や紅焼肉を食べて 「肉で肉を補う」 ように、真夏の消耗を取り戻す。「啃」 は啃秋・咬秋で、立秋の日に家族が集まって西瓜を食べ、暑気を噛み去り、秋をしっかりとつかまえるという意味を託す。「晒」 は晒秋で、山間部の村人たちが収穫した唐辛子、トウモロコシ、豆などを屋根や窓辺に広げ、村全体を色彩豊かな油絵のように染め上げる。「会」 は秋忙会で、迫る秋の農繁期に備えて開かれる交易市であり、農具を交換し、家畜を売買する。「社」 は秋社で、豊作を祝って土地神を祭る行事であり、漢代に始まり、後世には立秋後五番目の戊の日に行われるようになった。「戴」 は楸の葉を身につけることで、中国語では 「楸」 と 「秋」 が同音であることから、古人は立秋の日に楸の葉を髪に挿し、秋を迎え、平安を祈った。「登」 は高い場所へ登ることで、葉がまだ落ちきらないうちに山道をたどり、身体と心で夏から秋へ移りゆく微妙なリズムを感じ取る。
この八つの習俗のうち、吊り秤で体重を量ることと貼秋膘は、身体の調養と苦夏の消耗を補うことに重点を置く。啃秋と楸の葉を身につけることは、季節の儀礼と時節の感知に、晒秋と秋忙会は農業生産と豊作の祝いに、秋社と登高は神への感謝と天地・人間の呼応に、それぞれ重点を置いている。これらが重なり合うことで、身体から心へ、家庭から共同体へと広がる、立秋の完整な節俗世界が形づくられてきた。
その根底には三つの文化的論理がある。第一は 天の時に従うこと である。貼秋膘は秋の収穫と滋養の自然なリズムに沿い、登高は秋に身体と心を伸びやかに整える養生の知恵にかなっている。第二は 自然への感謝 である。秋社で土地神を祭ることは大地への謝意を表し、晒秋は豊作の喜びを最も直接的な形で見せる。第三は 苦労の中にも楽しみを見いだすこと である。啃秋は暑気払いを家族団欒の喜びへ変え、秋忙会は重い農作業の準備をにぎやかな交易の場へと変える。
だからこそ立秋は、二十四節気の中でもとりわけ 「実りを得たという実感」と「人の暮らしの温もり」 に満ちた節気といえる。「苦夏」を耐え抜いた人々は、ぐつぐつ煮える紅焼肉の鍋で自らをねぎらう。収穫を迎えた農民は、屋根いっぱいに広がる色鮮やかな晒秋で村を飾る。貼秋膘と晒秋のにぎわいの中で、夏のあらゆる苦労がようやく報われるのである。
各地の節気習俗
| 地域 | 代表的な風習 | 特色 |
|---|---|---|
| 北京・河北・東北地方 | 貼秋膘 | 立秋に煮込み肉、紅焼肉、肉餡の餃子などのしっかりした料理を食べ、肉で身体を補う |
| 天津・華北・華東・江蘇・浙江 | 啃秋/咬秋 | 立秋に西瓜やマクワウリを食べる。天津では瓜を食べると下痢を防げるとされ、江蘇・浙江では西瓜と焼酒を一緒に取ることでマラリアを防ぐと考えられた |
| 江西省婺源・安徽南部・湖南 | 晒秋 | 家の前後、屋根、窓辺に唐辛子、トウモロコシ、カボチャなどを干す |
| 全国、とりわけ北方 | 秋忙会 | 旧暦七、八月に行われる交易市。農具の交換や家畜の売買を行う |
| 湖南・広西 | 秋社 | 土地廟の前に舞台を設け、鶏や鴨を供えて土地神を祭る |
| 杭州 | 秋桃を食べる | 立秋の日に一人一個の秋桃を食べ、種を大晦日まで残して焼いて灰にする |
| 山東省莱西 | 「渣」を食べる | 豆の粉と青菜で作る小豆腐。俗に “吃了立秋的渣,大人孩子不呕也不拉” という |
| 貴州・湖南 | 苗族の赶秋節 | 苗族が立秋の日に「赶秋場」へ集まり、門止め、迎龍、八人秋、苗鼓、刀梯などを行う |
| 全国 | 楸の葉を身につける | 「楸」と「秋」が中国語で同音であることから、立秋の日に楸の葉を髪に挿す |
| 全国 | 登高 | 葉が落ちる前に山へ登り、夏秋の移り変わりを感じる |
立秋の風習
貼秋膘
主な地域:
活動内容:
貼秋膘 は、立秋を代表する食習俗である。盛夏の 「苦夏」 を経た後、人々は立秋の日に少し肉料理を食べて身体を補い、豊かな味わいで真夏の消耗を埋め合わせる。貼秋膘とは、まさに 「肉を食べて身体に肉を戻す」 ことであり、濃厚で滋味のある料理を味わう習慣である。
北京や河北一帯では、立秋に肉を食べて貼秋膘する習慣がある。この日、人々は煮込み肉、涮肉、紅焖肉、肉餡の餃子、煮込み鶏などを食べ、身体を滋養する。昔の北京の四合院では、立秋になると肉を煮込み、魚を焼き、鶏や鴨を煮る家が多かった。肉は紅焼肉、白切肉、自家製の醤肘子などに調理され、いずれも文字どおり食べ応えのある「硬菜」だった。
東北地方では一般に立秋に餃子を食べ、さらに 「抢秋膘」 という習俗もある。他人の碗から餃子を取ることができた者は、身体が丈夫になるといわれる。山西では立秋の日に粟粥を食べる習慣がある。
養生の面から見ると、夏の厳しい労働によって人々は多くの気力と体力を消耗する。そのため立秋になると豚や羊を屠り、栄養豊かな料理を作って、一夏働いた自分と家族の身体を整える。紅焼肉、鶏や鴨の煮込み、白木耳、蓮の実、百合根、蓮根などが食卓に並び、陰を養い、乾燥を潤し、さらに寒い冬に向けて力を蓄える。
歴史的由来:
貼秋膘の習俗は、夏に身体が消耗するという古人の実感と、それを補いたいという欲求から生まれた。伏日には食欲が落ち、普段より痩せる人が多く、これを俗に 「苦夏」 と呼んだ。秋風が吹いて食欲が戻ると、よいものを食べて栄養を補おうとしたのである。
伏日に肉を食べる習慣は漢代にまでさかのぼる。『漢書・東方朔伝』には、漢武帝が伏日に肉を下賜した故事が記されている。貼秋膘はこうした伝統を基礎として発展し、北方の 「肉によって身体を補う」 食文化と結びついた。
参加方法:
立秋の日には、北方の飲食店で季節限定の貼秋膘料理を味わえる。北京の老舗の煮込み肉、東北料理店の餃子、山西の粟粥などが代表的である。家庭で紅焼肉を一鍋作り、家族で囲んでもよい。北方の餃子店は立秋の日、とりわけ賑わう。
おすすめの体験地:
晒秋
主な地域:
活動内容:
晒秋 は、中国における代表的な農村習俗の一つで、明確な地域的特色を持つ。湖南、江西、安徽などの山間部では、地形が複雑で村に平地がほとんどない。そのため村人たちは、家の前後、窓辺、屋根などを利用し、竹製の盆や架台を置いて農作物を干してきた。
収穫した唐辛子、トウモロコシ、豆などを竹の平籠へ広げ、屋根や穀物干し場いっぱいに並べると、村全体がまるで 鮮烈な色彩の油絵 のようになる。
長い年月の中で、こうした農作物を乾燥させる独特の生活方式と風景は、次第に伝統的な農村文化へと発展した。江西省婺源の 篁嶺古村 では、晒秋はすでに農家が豊作を祝う一大行事となり、農村観光の象徴と名刺のような存在にまでなっている。篁嶺では毎年重陽の頃に晒秋文化節が行われ、数十万人が婺源を訪れて秋景色を眺め、写真を撮る。
歴史的由来:
晒秋は、山間部特有の地理条件と農業上の必要から生まれた。平地がほとんどないため、村人は限られた屋根や窓辺を利用して収穫物を乾燥させるしかなかったのである。
この素朴な農作業は長い時間を経て、次第に観賞価値のある文化景観へと発展した。晒秋は農業生産の延長であると同時に、豊作の喜びを最も直接的に表現するものでもある。
参加方法:
立秋前後には、江西省婺源の篁嶺古村を訪れ、晒秋の景観を観賞できる。安徽南部や湘西などの伝統村落でも同様の風景を見ることができる。安全な区域から見学や撮影ができ、一部の景区では農作物を干す体験にも参加できる。
おすすめの体験地:
秋の到来を告げる
主な地域:
活動内容:
古代において立秋は重要な季節の節目であり、朝廷では 秋の到来を告げる儀礼 が行われた。
南宋の呉自牧『夢粱録』によれば、宮廷の太史官は梧桐の木の下で待機し、風が起こって葉が落ちるのを待って、声高らかに 「秋が来た!」 と告げた。これが秋の到来を正式に知らせる儀礼である。
梧桐の落葉を秋の到来を示す物候のしるしとし、自然現象と宮廷儀礼を巧みに結びつけていた。立秋はこのため 「七月節」 とも呼ばれた。周代以降、天子は三公九卿を率いて西郊へ赴き、秋を迎え、祭祀を行った。
歴史的由来:
秋の到来を告げる習俗は、西周時代にまでさかのぼる。天子は自ら三公九卿、諸侯、大夫を率い、西郊へ出て秋を迎えた。
漢代にもこの習俗は受け継がれ、獣を屠って祭り、秋の到来と武威を示した。古代では立秋を夏と秋の境目となる重要な時期とみなし、この節気を非常に重視していた。
梧桐の一葉が落ちることは、公的にも認められた秋到来の象徴となり、「一葉知秋」 という文化的イメージの源にもなった。周代から清代まで、秋を迎える儀礼はおよそ三千年にわたって続いた。
参加方法:
立秋の日には梧桐の葉が落ちる様子を観察し、「一葉知秋」 の物候変化を感じることができる。北京などでは立秋に古式の秋迎え儀礼を再現する行事が開かれることもあるため、地域の文化イベントを確認するとよい。
おすすめの体験地:
楸の葉を身につける
主な地域:
活動内容:
立秋には、楸の葉を身につける という伝統習俗がある。中国語では 「楸」 と 「秋」 が同音であることから、古人は立秋の日に楸の葉を鬢に挿し、秋を迎えて平安を祈った。
宋代には、立秋の日に男女とも楸の葉を身につけ、季節の到来に応じた。南宋の『夢粱録』には、
“立秋日,太史局委官吏于禁廷内,以梧桐树植于殿下,俟交立秋时,太史官穿秉奏曰:‘秋来!’其时梧叶应声飞落一二片,以寓报秋意。”
と記されている。
その後、民間でもこれを盛んにまねるようになり、次第に楸の葉を身につける習俗が成立した。
歴史的由来:
楸の葉を身につける習俗は、宋代にはすでに非常に盛んだった。中国語で「楸」と「秋」が同音であることから、楸の葉をつけることそのものが秋の訪れを迎える意味を持った。
この習俗は、立春に春燕の飾りを身につけたり、立夏に石榴の花を飾ったりする節気服飾の習慣と同じ系譜にあり、季節と結びついた植物を身につけることで、時節への感知と順応を表現したものである。
参加方法:
立秋の日には楸の葉を採り、鬢や衣襟につけることができる。都市では公園などで楸の木を探し、この千年の古俗に触れるのもよい。
おすすめの体験地:
吊り秤で体重を量る
主な地域:
活動内容:
民間には、立秋の日に 吊り秤で人の体重を量り、立夏の頃の体重と比べる習慣がある。
昔は暮らしが決して豊かではなかったうえ、猛暑によって食欲も落ちたため、「苦夏」を過ごした人の多くは痩せた。この体重減少そのものも「苦夏」と呼ばれた。秋風が吹き始め、食欲が戻れば、よいものを食べ、栄養を増やして夏の損失を補った。
この習俗は清代にはすでに非常に盛んだった。清代以降、浙江省嘉興では立秋の日に吊り秤で体重を量り、立夏時の体重と比較して、太ったか痩せたかを確かめることが流行した。体重が減っていれば「苦夏」とされ、それを補う方法こそが 貼秋膘 だった。
歴史的由来:
立夏に体重を量り、立秋に再び量ることで、前後が呼応する季節的な身体観察の習慣が形成された。
立夏の計量は夏の間の身体変化を観察し、「疰夏」を防ぐためのものであり、立秋の計量は「苦夏」の結果を確かめ、貼秋膘が必要かどうかを判断する基準となった。
この習俗には、伝統社会の 「予防を第一とする」 健康観と、季節変化が身体へ及ぼす影響を細やかに観察する姿勢が表れている。
参加方法:
立秋の日には体重計で体重を量って記録し、立夏の頃の体重と比べることができる。地域の文化館などで伝統的な「称人」体験が行われることもある。
おすすめの体験地:
啃秋/咬秋
主な地域:
活動内容:
啃秋、または 咬秋 は、中国に伝わる立秋の民俗である。古くには “立秋前一日,食西瓜,谓之啃秋”――立秋の前日に西瓜を食べることを啃秋という――とされた。
地域によっては 「秋を噛む」 と呼ばれ、炎暑の夏があまりにも厳しかったからこそ、立秋を迎えた時に、その秋をしっかり噛んでつかまえるという意味を持つ。
この日になると西瓜を一つ買って家へ持ち帰り、家族全員で囲んで食べ、暑気を払い、渇きを癒やす。
地域によって習俗の形は異なる。天津では立秋の日に西瓜やマクワウリを食べることを 「咬秋」 と呼ぶ。立秋に瓜を食べれば、冬から翌春にかけての下痢を免れると信じられていた。
清代の張燾『津門雑記・歳時風俗』には、
“立秋之时食瓜,曰咬秋,可免腹泻。”
と記されている。
浙江などでは、立秋の日に西瓜と焼酒を一緒に食べ、マラリアを防ぐと考えられていた。江蘇などでも立秋に西瓜を食べて「咬秋」し、秋の汗疹を防げるとされた。
咬秋であれ啃秋であれ、そこに表れているのは秋の到来を喜ぶ気持ちである。農村には、立秋に一口かじれば、秋の収穫はきっと豊かになる という言葉もある。
歴史的由来:
この習俗は明代の南京地方に始まったとされる。伝承によれば、西瓜を食べて皮膚の癩痢瘡を治した人々がおり、それが次第に立秋に瓜を食べる習慣へと発展した。
清代の『津門雑記』には、立秋に瓜を食べれば下痢を防げるとの記録があり、そこから 暑気を払い、病を防ぐ という意味も生まれた。
立秋に瓜を食べることは、夏の暑さへの別れであると同時に、秋の豊作を願う行為でもある。
参加方法:
立秋の日に果物店で西瓜やマクワウリを買い、家族で囲んで食べればよい。立秋習俗の中でも特に参加しやすいものの一つである。天津や南京などでは、立秋の日に西瓜を抱えて「啃秋」を楽しむ人々をよく見かける。
おすすめの体験地:
秋忙会
主な地域:
活動内容:
秋忙会 は、立秋の頃、一部地域で開かれる交易大会であり、これから始まる忙しい秋の農作業に備えることを目的としている。
一般に旧暦七、八月に開かれ、秋の農繁期を迎えるための準備市として機能した。
会場には、騾馬市、穀物市、農具市場、さまざまな雑貨市などが設けられ、人々は生産用具を交換し、家畜を売り、穀物や生活用品を交換した。
一部の秋忙会は廟会と一緒に開かれ、期間中には芝居、競馬、猿回しなどの芸能も行われた。目的は農具、家畜、穀物、生活物資などを交換することであり、現在ではこうした集まりは広く 「経済貿易交流大会」 と呼ばれている。
歴史的由来:
秋忙会は、古代農村の市場交易の伝統から生まれた。立秋を過ぎれば秋の収穫が迫り、農民は鎌や籠などの収穫道具を準備し、秋播き用の種や耕牛を交換する必要があった。
秋忙会は、こうした需要を満たすために生まれた臨時市場だった。この習俗は節気の時序と農村経済を密接に結びつけ、伝統的農耕社会の生産と暮らしを支える重要な一部となった。
参加方法:
立秋前後には、華北や華東の農村で秋忙会を訪れることができる。農具や家畜の交易だけでなく、地方劇、雑技、郷土料理などもあり、中国農村の市場文化を体験できる。
おすすめの体験地:
秋社
主な地域:
活動内容:
秋社 はもともと秋に土地神を祭る日であり、漢代に始まった。後世になると、立秋後五番目の戊の日に行われるようになった。
この頃には収穫がすでに終わっており、官府も民間も神へ供物を捧げ、豊作への感謝を表した。秋は収穫の季節であり、立秋には土地神を祭る習俗もある。農民たちは秋社の日に土地神を拝み、豊作を祝い、さらにその加護を願った。
湖南、広西などでは、立秋後に 秋社 が行われる。村の土地廟前に舞台を設け、鶏や鴨を屠って土地神を祭り、劇団が豊作を祝う曲を演じる。村中にはにぎやかで甘やかな雰囲気が漂う。
秋社では盛大な祭祀を行い、土地神に農作物の豊作と人々の安康を願う。また、秋社は団欒の機会でもある。宋代には餅を食べ、酒を飲み、嫁いだ女性が実家へ帰る風習があった。現在でも地域によっては 「做社」「敬社神」「煮社粥」 といった言葉が残っている。
歴史的由来:
秋社の習俗は漢代に始まった。『礼記・月令』には、
“是月也,大飨帝,尝牺牲,告备于天子”
とあり、古代社会が立秋の祭祀を重視し、制度化していたことが分かる。
古人は 春に祈り、秋に報いる と考えた。春社では豊作を祈り、秋社では神々へ感謝を捧げた。
宋代の孟元老『東京夢華録』には秋社の盛況が詳しく記されている。漢代から清代まで、およそ二千年にわたって続き、農耕社会における最も重要な祭祀節日の一つとなった。
参加方法:
立秋後五番目の戊の日の前後には、南方の農村で秋社行事を見学できる。湖南や広西の伝統村落では現在も秋社祭祀が残り、安全な区域から祭礼や社戯を観賞できる。
おすすめの体験地:
秋桃を食べる
主な地域:
活動内容:
杭州の一部地域には、立秋の日に 秋桃を食べる 習慣がある。立秋になると、一人につき一個の秋桃を食べる。
桃を食べ終わった後は種を取っておき、大晦日になると、人に知られないようにその種を炉へ投げ入れ、灰になるまで焼く。こうすれば一年の疫病や災厄を免れられると考えられていた。
かつて杭州一帯では秋桃を食べることが広く行われ、大人も子どもも一人一個ずつ桃を食べ、その種を残した。甘く果汁の多い秋桃は旬の果物であるだけでなく、災いを避け、福を願う意味も担っていた。
歴史的由来:
秋桃を食べる習俗は杭州一帯に古くから伝わり、立秋の「咬秋」の地方的な変形ともいえる。
中国文化において桃は長寿と吉祥を象徴する。立秋に桃を食べることは季節に応じる行為であると同時に、健康への願いでもあった。
桃の種を大晦日まで残して焼くという儀礼は、立秋と一年の終わりを結びつけ、古人の 「始まりがあれば終わりもある」 という時間観を表している。
参加方法:
立秋の日には一人一個の秋桃を購入して食べ、種を大晦日まで残して焼くことで、この儀礼を体験できる。
おすすめの体験地:
「渣」を食べる
主な地域:
活動内容:
山東省莱西では、立秋に 「渣」 を食べる習慣がある。これは豆を挽いた粉と青菜で作る、小豆腐のような料理である。
民間には、“吃了立秋的渣,大人孩子不呕也不拉”――立秋の渣を食べれば、大人も子どもも吐かず、下痢もしない――という言葉がある。
素朴な家庭料理に、人々は健康と平安への切実な願いを込めてきた。作り方も簡単で、豆を粉にし、青菜と一緒に煮る。あっさりとして食べやすく、消化もしやすい。
歴史的由来:
「渣」を食べることは、山東省莱西独特の立秋食文化である。立秋にはまだ暑さが残り、湿気も重いため、豆粉と青菜で作る淡泊な料理は胃腸を整え、秋燥による下痢を防ぐのに役立つとされる。
この食習俗には、民間の 「薬食同源」 の養生の知恵が表れている。
参加方法:
立秋の頃には山東省莱西で「渣」を味わうことができる。家庭でも豆粉と青菜を使って作ることができる。
おすすめの体験地:
躺秋/臥秋
主な地域:
活動内容:
「躺秋」 は地域によって 「臥秋」 や 「睡秋」 とも呼ばれる。
立秋の日、人々は涼しい場所を探してしばらく横になる。これは夏がまもなく終わり、耐え難い暑さの日々も終わろうとしていることを表し、ようやく安心して昼寝をし、十分に休めるという気持ちを示している。
この習俗は最も素朴な形で、酷暑の終わりへの期待と、涼しい秋への歓迎を表現している。
歴史的由来:
躺秋の習俗は、人々が「苦夏」をどのように感じていたかに由来する。夏の暑さではよく眠れず、立秋を過ぎて涼風が少しずつ訪れると、ようやく安らかに眠れるようになる。
そこには、普通の人々が季節の変化を繊細に感じ取る感覚と、素朴な生活の知恵が表れている。
参加方法:
立秋の日には、涼しい場所でしばらく休み、秋風が訪れ始める心地よさを味わうことができる。
おすすめの体験地:
登高
主な地域:
活動内容:
立秋になると涼風が吹き始め、身体を伸ばして動かすのに適した時期になる。季節の変わり目は、まるで自然が運動のために用意した黄金の時間のようでもある。
中でも心地よいのが 登高 である。葉がまだ落ちないうちに曲がりくねった山道を登り、身体と心で、夏から秋へと移り変わる微妙なリズムを少しずつ感じ取る。
古代から現在まで、立秋に高所へ登ることは、秋を楽しみ、季節の鼓動に触れる詩的な方法だった。農民は高い場所から雲の動きを観察し、その年の収穫を予測し、文人墨客は秋の山で詩情を探した。
心身の調整という面でも、登高は天の時に従う養生の知恵とされる。一段一段登るうちに、涼しい山風が夏の間にたまった暑湿を散らし、適度な運動によって気血もめぐると考えられてきた。
歴史的由来:
登高の習俗には、中国で長い歴史がある。古人は、立秋後には陽気が次第に収まり、陰気が次第に増すと考え、高い場所へ登ることで天地の気に応じ、身体と心を伸びやかにできるとした。
唐代の詩人・劉禹錫は、
“自古逢秋悲寂寥,我言秋日胜春朝”
と詠み、秋に対する明るく積極的な感情を表した。
参加方法:
立秋前後には、各地の山岳や高台へ登り、夏と秋の移り変わりを感じることができる。都市近郊の山岳景区は立秋の頃に訪問者が増えるため、事前に計画を立てるとよい。
おすすめの体験地:
苗族の赶秋節
主な地域:
活動内容:
赶秋節 は、秋社節、交秋節とも呼ばれ、苗族や布依族などの少数民族が毎年立秋の日に行う伝統的な祭りで、主に貴州や湖南などで盛んである。
湖南、湖北、貴州、重慶などでは、苗族の人々が立秋の日に 「赶秋場」 へ集まる。これが苗族の赶秋節であり、豊作の祝いと若い男女の交流を起源としている。
活動は非常に多彩で、門を塞ぐ儀礼、迎龍、八人秋、苗鼓、苗族の伝統技芸、绺巾司刀舞、刀梯登り、椎牛などが行われる。その後、武術、龍舞、獅子舞、舞台公演、展示なども加わった。
祭りは通常一日から三日ほど続き、人々は晴れ着をまとって秋坡や秋場へ集まり、秋を迎え、秋を祭り、秋を楽しみ、秋を送り出す。
中でも 苗鼓 は赶秋節の重要な催しの一つである。八人秋の回転が止まったとき、最も高い位置にいる者は即興で苗族の歌を歌わなければならない。若い男女は、この機会を通じて伴侶を探すこともある。
歴史的由来:
伝承によれば、赶秋節は苗族の青年 巴貴達惹 が伴侶を探すために八人秋を作ったという物語に由来する。
2014年、「苗族赶秋」は国家級無形文化遺産代表性項目名録に登録された。2016年には、二十四節気を構成する一部として、ユネスコの人類の無形文化遺産代表一覧表に登録された。
参加方法:
立秋の日には、湘西の 花垣、鳳凰、吉首 などを訪れ、苗族の赶秋節を見学できる。安全な区域から八人秋、苗鼓、刀梯登りなどの演技を観賞し、苗族独自の秋の祭り文化を体験できる。具体的な開催場所と時間は、事前に当地の文化・観光部門で確認するとよい。
おすすめの体験地:
結び
立秋の民俗が形づくられてきた背景には、酷暑がまだ完全には去っていない時期に、古人が一足早く 「秋の到来を告げたい」 と願った儀礼的な衝動がある。立秋を迎えても暑気はしばしば残っている。それでも人々には、「夏がようやく終わろうとしている」 と宣言する儀礼が必要だった。宋代には、立秋の前日、太史官が宮中の梧桐の下で待ち、立秋の時刻になると声高らかに 「秋が来た!」 と奏上した。すると梧桐の葉が一、二枚、声に応じるように舞い落ちる。これが秋の到来を告げる儀礼だった。この儀式的な一瞬には、一年で最も蒸し暑い日々の中で、人々が涼しさをどれほど切実に待ち望んでいたかが表れている。
長い歴史の中で、立秋には 「咬秋」 や 「貼秋膘」 などの習俗が積み重なってきた。江南の家庭では立秋の日に西瓜を食べ、これを 「啃秋」 と呼び、秋以降の下痢を防げると信じた。一方、北方ではこの日に 「肉で身体に肉を戻す」。長い「苦夏」を経て、人々は豊かな肉料理によって消耗した身体を補ったのである。啃秋の西瓜であれ、貼秋膘の煮込み肉であれ、それはいずれも 「食」 を通じて季節の移り変わりを確かめる、中国人独自の方法だった。
立秋の午後、最初の一枚の梧桐の葉が静かに舞い落ち、人々がその日の西瓜の最後の一口を噛みしめる。そのとき、立秋の民俗は単なる季節の告知ではなくなる。それは、最も日常的な食と暮らしの中で、中国人が時間の移り変わりを儀礼として確かめる行為 そのものなのである。
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世界中の暦と伝統文化を愛する人々が、同じ月を見上げる。
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